shanの雑日記

子育ての振り返りから日々の雑感など

息子、一人暮らしの料理

普段、進学して一人暮らしを始めた息子には、余程の用事がない限りこちらから連絡をしないようにしています。

『うざっ』と思われるのも腹が立つし。

ぼちぼち子離れもしていかないといけないし。

 

息子からのLINEには、自炊した料理の写真がたまに送られてきます。

すこし前に送られてきたのがこちら。

鰆が半額だったので、照り焼き風にしたそうです。

左下は冷蔵庫にあった残り野菜で野菜炒めを作ったもよう。

豆腐のお味噌汁つきです。

栄養バランスも取れていると思うし、なかなか上手に作っていると思います。

ここまで出来れば充分かも。

 

最初の写真はご飯だけ自分で炊き、レトルトカレーをかけたものでした。

次は豚肉の生姜焼きにチャレンジしたようですが、豚肉にどれだけ火を通したらいいのかわからななくて、焦げてしまった写真が届きました。

家ではまったく料理をすることなく一人暮らしを開始したので不安ではありましたが、悪戦苦闘を重ねて経験し、数ヶ月でここまで出来るようになりました。

休日には、バイトで夜遅くなる日の分の作り置きをしている、と言っていました。

ご飯もまとめて炊いてラップで小分けし、平たくして冷凍しているそうです。

平たくしたほうがレンジでチンした時の加熱ムラが少ないことがわかった、とのこと。

何も教えていなかったのに自分で考え工夫して、たくましく生きているようでホッとしています。

 

息子からのLINEは家事の質問がメイン。

「鶏肉ってどこまで火が通ってたら大丈夫なん?」

「まな板のヌメリが取れん!」

「洗濯機が途中で止まる!」

などなど・・・。

 

その都度、

「鶏肉は白くなってたら大丈夫!」

「お湯を使って洗剤でしっかり洗ってみな。」

「洗濯物、中で偏ってない?」

と返事をしています。

 

そんな息子とのLINEですが、昨夜の内容が面白かったのでブログに残しておこうと思いました。

 

息子「食べようとした豆腐をそのままシンクに落としてしまいました泣」

私「上っ側だけ使え!」

息子「ガッツリ回転」

私「ガビーン(スタンプ)」

息子「ギョニソ(魚肉ソーセージ)で代用」

  「本日三回目」

私「ギョニソで生きてるんやね」

息子「割と本気でそうやね」

  「登場率いちばん多い」

私「それも、よし。ギョニソは栄養満点!」

息子「ハハは食わんけどね笑」

 

息子が自炊をするにあたって、タンパク質を摂取するために手軽に食べられる魚肉ソーセージを勧めました。

普段は朝食時にそのまま食べているようです。

休日のお昼によく作るのは、茹でたパスタと野菜と魚肉ソーセージを炒めたもの、とのこと。

昨夜の晩ご飯、どのようにして豆腐の代用に魚肉ソーセージを使ったのかは聞きそびれました。

息子には勧めましたが、私は魚肉ソーセージの風味が苦手で食べません。

 

とりあえず今のところは息子も私を気遣ってか、2日に一度くらいはLINEをしてくれます。

多分そのうちにあれやこれやと忙しくなって、LINEの間隔は3日、4日と空いてくるでしょう。

そうなれば、便りがないのは毎日が充実している証拠だと思うようにします。

いつまで自炊した料理の写真を送ってくるのかわかりませんが、どんな料理を作れるようになるのか楽しみです。

 

 

 

 

 

メールにて

昨夜、パートナーとメールでやり取りをしました。
普段のやり取りはメールのみ。
知り合った頃は子育て真っ只中、お互いの子供達も小学校低学年だったのでまだまだ手がかかりました。


電話はそれぞれの時間を拘束してしまいます。子供が寝た後もやらないといけない事はたくさんあったので、やり取りのツールとはなりませんでした。
メールも即レスとは程遠く、ほんの2、3回やり取りするだけで1時間以上かかることは普通でした。
ケンカもメールでしました。
そのうち、ヒートアップしてきて文字を打つのもイラッとし、面倒になるので
『もうええわ。寝る。また今度会った時に話ししよう。』でおしまい。
後日会った時にはクールダウンできているので、冷静に話し合うことができました。
その点は、メールでよかったのかもしれません。


電話を使う時は緊急の時のみ。
緊急と言っても
「今、家にいる?柿の葉ずし買ってきたから今から持って行くわ。」
など、冷蔵庫が必要で急ぎの生モノの食べ物関係でのやり取りがメインになります。
私が緊急入院した時も、個室で右肘内側に点滴が入っていてやり難いにもかかわらず
『実は今、緊急入院しました。』
とメールで知らせました。
子供達も高校生になっていましたが、それくらい長年の習慣とは恐ろしく電話のハードルは高く感じます。


お互いに子供とはLINEを使いますが、私達の間では使いません。
一言二言のやり取りならLINEの方がラクなのですが、ウダウダとした長文には向きません。
それにあの『既読』がイヤ。
LINEには即レスをしないといけない!!
という、無言の圧力を感じてしまいます。
自分のペースで返信したい。


最近、夜にブログを更新する作業をしている事が多いので、メールが来てもひと息つくまではちょっと保留。
お気に入りのドラマを観ている時は、CMになると慌てて返信。
こうして文字に書いて読んでみると、ひどいなあと思います。


昨夜のメールには、会社の同僚がついにコロナに感染した、とありました。
その方とはお互いにマスクをしていたし、会話もなかったし、3m以上離れた所で作業していた、とのこと。
会社は特に濃厚接触者の認定だとか消毒とかはしていないそう。
お盆前は繁忙期になるので、もし業務が止まってしまえば会社は大きな利益を失ってしまいます。
それが、中小企業の実情よね。
そんなやり取りをしました。


感染が落ち着いている時に、今度お寿司を食べに行こうと言っていたのですが、あれよあれよという間にこんな状況になってしまいました。
パートナーも私も、いろいろ心配しながら出掛けたりご飯を食べたりするのは面倒くさく、何も気にすることなくパアっとやりたいと思うタイプなので、お寿司も延期になっています。
次に『今度』というフレーズが出たら『次回』にするべき。
でないと、本当にいつになるかわかりません。


来月、私の誕生日の頃には行けるかなあ。
まあそれまでは無茶をせず、大人しくしとこか。
とメールをして終わりました。


お寿司といっても、地元の『回るお寿司』です。笑

弾丸0泊2日で行くオープンキャンパスの旅〜後編〜

弾丸0泊2日で行くオープンキャンパスの旅〜前編〜の続き


さて、息子を起こしてバス内で朝食を済ませると東京駅に到着しました。
構内の化粧室で身なりを整え、時間に余裕もなかったので御茶ノ水駅に急ぎました。


御茶ノ水駅を降りると、目の前に東京医科歯科大学の湯島キャンパスがド~ンと見えました。
都会で迷ったらどうしよう、と不安があったのですが、迷う方法がないくらいに目の前にあってホッとしました。
入口に立ってキャンパスを眺めると、
これがキャンパス?高層ビルやん!
横に広い構内の大学しか知らなかったので、縦に大きい大学の存在に驚きました。
息子と「すごいなあ~。都会やなあ~。」と田舎者丸出しでそう言いながら、受付を済ませました。


学長講演の後、息子はスキルスラボの見学へ行き、私は保護者対象説明会に参加するために26階のラウンジに行きました。
ラウンジは硝子張りになっていて、東京の街を見渡すことができました。
都会の風景に圧倒され、場違い感が半端なかった記憶があります。
保護者説明会では皆さん熱心にメモを取りながら聞いていらっしゃいました。私は何をメモすれば良いのかもわからず、ただお話を聞いていました。
その後、息子と合流。
スキルスラボには、様々なシミュレーターがあったそうです。


昼食をはさんで昼からはカリキュラムの説明があり、日本のみならず世界に向けての教育、医療に取り組まれていることがわかりました。
その後、最新医歯学研究のお話を聞くために講義室に入りました。
先生は熱心に研究についてお話して下さいましたが、私にはちんぷんかんぷん。隣に座る息子は爆睡していました…。
最後に、現役の学生さん達による自身の体験をもとに合格までの道のりや、大学生活のお話を聞く『医学科合格への道』に参加し、東京医科歯科大学でのオープンキャンパスは終了しました。


事前にバスで約20分のところに東京大学があるのを確認していたので、行ってみることにしました。
バスを降りて歩くと、TVで見たことのある赤門がありました。
おお!これが赤門!
何かご利益がありそうなので思わず手を合わせようとしてしまいましたが、息子に
「赤門は神社と違うで!」
と言われました…。
大学構内を歩いていると、重厚で趣きのある数々の建物とここは本当に都会の中なのかと疑うほどの緑豊かなキャンパスに心が踊りました。息子に
東京大学、ええやん!ここはどう?」
と偏差値も何も考えない発言に、息子は
「理Ⅲはね、凡人の来るとこやない。」
とバッサリ。
現実に引き戻されて東京大学を後にしました。


夜行高速バスの出発まで、まだまだ時間がありました。
この後、息子がオープンキャンパスよりも楽しみにしていたのではないか?と思われた、新宿高島屋で開催されていた『すみっコぐらし展』に行きました。
息子は中学生までは隠れすみっコファンでしたが、高校生になって最初の自己紹介でカミングアウトしたそうです。
今回、東京に行くことを同級生女子に話すと、このすみっコぐらし展の情報を教えてくれたとか…。
オープンキャンパスよりもはるかに目をキラキラさせながら展示を見て回り、グッズを買う息子がそこにいました。
確かに、田舎では『すみっコぐらし展』は開催されそうもありません。
都会に来られてよかったね…。
そう思うことにしました。
すみっコの世界に満足した息子と東京駅に戻って夕食を済ませた後、夜行高速バスに乗って地元ターミナル駅へと帰りました。


行きも帰りも眠れず、真夏の都会を1日中歩き回った私は帰宅後ダウン。
帰宅したその日は『泥のように眠る』を体現しました。
自分の体力を過信していた事を反省しました。
無茶な計画にはもう身体が付いていかないことを実感し、弾丸ツアーは最後にしようと思いました。


その後、改めて息子に東京医科歯科大学の感想を聞きました。
息子「偏差値は抜きにしても、あそこで学ぶ未来が想像できないかな。〇〇には、あそこじゃない気がする。」
と言いました。
『〜じゃない気がする』というのは直感だと思います。
けれど、実際に訪れて自分の目で見られたからこその直感です。
実際に訪れて『~じゃない気がする』と感じることも、次の志望校を決めるための重要な指標になると思います。


他のオープンキャンパスに参加できなかった息子は、大学案内のパンフレットとHPのみで情報を得た地方国公立大学を受験しました。
二次試験の前日に初めてキャンパスを訪れた時、
「おっ、いい感じ!」
と思ったそうです。
あの時に買ったすみっコ達を引き連れ、『いい感じ!』と思った地方国公立大学に息子は進学しました。




1枚の写真もなく、長々と文章だけの旅の様子を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

弾丸0泊2日で行くオープンキャンパスの旅~前編~

今朝TVのニュースを観ていると、対面での大学のオープンキャンパスが開催された様子が映し出され、参加者の方が
「実際に見ることができてよかった。」
とインタビューに答えていました。
皆様のブログを読ませていただき、今年は多くの大学で対面でのオープンキャンパスが再開されていることを知りました。
昨年、一昨年とコロナ禍の影響で対面でのオープンキャンパスはほとんどが開催されず、多くはオンラインでの開催であったかと思います。


息子も高2・高3時はその影響を受けましたが、高1時はまだコロナ禍の前だったので、対面でのオープンキャンパスに参加することができました。
今日はその参加したオープンキャンパスの旅について振り返っておこうと思います。


高1時の夏休みの宿題に、『オープンキャンパスに参加してレポートを提出』というものがありました。
学校からはバスで行く京都大学見学ツアーがありましたが、中学生の時に行事で京都大学を訪れたことがあるので、息子はそちらには参加しないと言いました。
当時、全く偏差値は考慮せずに大学案内とHPを見て東京医科歯科大学に興味があった息子。
よし、この際東京へ行ってみよう!
となりました。
この年(2019年)に東京へ行くことにしたのには、もう1つ理由があります。
通常なら翌年(2020年)の8月には東京オリンピックが開催予定であり、混乱を回避するため夏休みの期間にオープンキャンパスが開催されないかもしれない。そうなると、なかなか東京まで行くことは難しくなるかも・・・。
ややこしくなる前に、関東方面は済ませておこう!
と息子と決めました。
とは言っても、この田舎から東京へ行くことは一大イベントとなりました。


こうして2019年に行われた、東京医科歯科大学オープンキャンパスに参加することにしました。
大学のHPで調べてみたところ特に定員といったものはなかったのですか、受付開始が8時とありました。
最寄り駅から始発に乗っても間に合いません。
前泊しないとダメ?いくらかかるの?
ネットで調べ、電卓を叩きました。
(往復交通費+宿泊費+食費+雑費)✕2人分=諭吉さんの団体!
他に方法がないか調べると、地元のターミナル駅から東京駅へ夜行高速バスが走っていることがわかりました。
またまた電卓を叩くと往復で夜行高速バスを利用すれば、前泊の場合の諭吉さんの半分以下で済みそうです。
息子に相談してみると
「行けるかどうかわからん大学を見に行くのに、そんな大金を使うのはもったいない!」
と言ったので、0泊2日の弾丸ケチケチツアーで東京へ行くことが決まりました。


私が大学生だった頃、スキーツアーに行くために夜行高速バスを利用しましたが、その頃に乗ったバスにはトイレもなく、ごく普通の4列シートの観光バスでした。その分お値段も学生には優しい料金だったと記憶しています。
この時に利用した夜行高速バスはトイレ付、3列独立シートでカーテンを引けば半個室状態になり、後ろの席を気にすることなくリクライニングシートも倒せることができる余裕があるし、Wi-Fiも有りで携帯の充電も可能でした。
4列シートの夜行高速バスよりはお高くなりましたが、一晩を少しでも快適に過ごすためにここは奮発しました。


家で夕食を取り、シャワーも済ませ、なるべくラクな服装で化粧もせずに、最寄り駅からバスが出発するターミナル駅まで移動しました。
バスに乗り込むと想像以上に個室感があり、息子もうれしそうでした。
道中、何度か息子の席のカーテンをチラッと開けて覗いてみましたが、息子は寝ている様子でした。


私は枕が変わるとまったく寝られないタイプなので、前泊でホテルに泊まろうがバスで移動しようが寝られないのは同じだろうと思っていました。
日頃運動をしているので体力には自信がありました。
うつらうつらとすることもなく、バスは定刻に東京駅に到着しました。




長くなったので次回に続きます。

電卓をガンガン叩いた日

8月になりました。
私が勤める会社は以前にも書きましたが、私一人で経理も総務もしているので、7月中旬までは決算関係で数字と格闘し、ひと息ついたと思ったら7月の給料計算をし、月末の支払いの段取りを組み・・・と7月は何かとバタバタするので、夏期賞与は8月に支給します。


私を含む社員の皆さんもお待ちかねなので、なるべく早くに支給したいと思っているのですが、賞与計算は給料計算とは仕組みが違うので手間がかかります。


まず、賞与支給額より賞与から控除する各種社会保険料を計算します。保険料率は協会けんぽなら各都道府県ごとに異なります。
私が勤める会社では、労務士さんが事前に保険料率を書いたお知らせをFAXして下さるので、それを元に計算します。
ここで、賞与総額1,000円未満は切り捨てだの、雇用保険料は切り捨てしないだの、計算後の端数は50銭を超え1円未満は切り上げだのと非常に細かい決まりがあります。


源泉所得税はザクッと簡単に書くと、前月中の給与等を元に賞与用の表から、賞与の金額に乗ずべき率というものを算出して計算します。計算後の1円未満の端数は切り捨てとなります。
切り上げ、切り捨てにくじけそうになりながら、十数人分を電卓で手計算します。


会社にはパソコンが1台あります。
このパソコンは、工場での製造、出荷事務を担当している人との共用になります。
普段、その人は工場にいることが多いのですが、納品書を出したり在庫管理をしたりするために事務所と行ったり来たりします。
その人が事務所に来る→パソコンを使う。
いつ来るかわからない→パソコンを占領できない。
となるので、私は長時間継続してパソコンを使用することはできません。


一般の会社なら給料計算のソフトがあって、支給額を入力すれば全部ソフトが計算してくれるのでしょうか?
他社で給料計算したことがないのでわかりません。
この令和の時代にIT化とは程遠く、電卓で手計算です。
しかも、上記したように賞与計算は計算することも多く、何よりも人の賞与なので計算間違いが恐ろしいので2、3回は電卓を叩きます。途中に電卓を叩き間違えると振り出しに戻り…。
イライラが爆発しそうになりながらもなるべく冷静に叩きますが、段々と電卓を叩く音が大きくなっていることに気がつきます。


やれやれと計算が終わり、2枚複写の給料支払明細書に手書きします。
複写式なので、しっかり記入しないと2枚目がぼんやりとしてしまいます。
その後、預り金台帳や給与台帳にそれぞれの金額をこれまた手書きで記入します。
頭の体操にはなるかと思いますが、賞与計算は本当に疲れます。


8年程前までは、給与振込引受書に手書きして銀行に持って行き、振込依頼をしていましたが、これはネットバンキングに変更しました。
賃金台帳も前任者は手書きしていたようですが、Excelで表を作って数字を入力すると控除額合計や支給額が出るようにしました。
これくらいなら、合間でパソコンを使うことができます。


超アナログで、昭和の香りがする作業ですが、面倒くさいとは思うもののキライではありません。
電卓での計算はその日の体調や気分の調子がモロに現れるので面白いし、バロメーターにもなります。
叩き違いもなくサクサク進むと、今日は良い調子だなと思って気分も上がります。
何度叩いても数字が合わずにイラッとしてくると、今日はアカンわ・・・となります。
休み明けの月曜日は休みボケのせいか、あまり調子の良くないことが多いので給料や賞与計算には向かないのですが、なるべく早く支給するために今日は慎重にかつガンガンと電卓を叩いて仕上げました。


今日は月曜日の割には叩き間違いもなく、サクッと終わることができました。
これで賞与が支給できます。
このご時世に賞与が支給されることはありがたいのですが、自分の賞与を計算するのは楽しいものではありません。
賞与が出る前に支給額がわかってしまうのですから・・・。
私もウキウキ感を少しは味わってみたいです。

自分の呼び名

今日、母が作ったブルーベリージャムを持って妹宅に行きました。
そこで小学4年生の甥っ子が自分の事を『俺』と呼んでいることに気がつきました。
私「△△(甥っ子の名前)って自分の事を俺って言うんや?」
と聞くと
甥っ子「そやで。みんなそう言ってるし。」
と言いました。
甥っ子は家でも自分の事を『俺』と呼ぶそうです。


ちょっと気になったので調べてみました。
男性の場合、プライベートで使う一人称としては
1位 俺(約50%強)
2位 僕(約30%弱)
3位 私(約10%弱)
4位 自分
 ・
 ・
となるそうです。
また、女性からみた男性が自分のことを何と呼ぶのが好感度が高くなるか、というアンケートでも、上記の順位になるそうです。
どちらにしても、『俺』が断トツ1位のようです。


私はどちらかというと『俺』は苦手です。
確かに男らしい感じがしますが、強引な感じというかちょっと威圧的に感じてしまいます。
『僕』に関しては、『ぼ↘く』のように『ぼ』から『く』にかけて下がる言い方と、『ぼ↗く』のように『ぼ』から『く』にかけて上がる言い方の2種類があると思います。
前者は同じ『僕』でも少しかしこまった感じがするし、後者はフランクな感じがします。
あくまでも、私の主観ですが。
プライベートで自分のことを『私』と呼ばれると、こちらと距離を取りたいのかなあと感じます。
また『自分』と呼ばれると、自己主張が強いのかなあと感じます。
これも、あくまでも私の主観です。
上記の中では『僕』の『ぼ↗く』が一番いいかな、と思います。
ちなみにパートナーは自分のことを、ベタベタなこちらの方言で呼びます。
最初はびっくりしましたが慣れました。
田舎のおっちゃんなので、それもありなのかなあと思います。


なぜ自分の呼び名が気になったのかというと、実は19歳、成人した大学1回生になる息子は、家族の前ではいまだに自分の名前で呼んでいます。
例えば、名前が太郎なら「太郎はね、~~~。」
となります。


息子が小学6年生時の授業参観で学校を訪れた時、授業後に友達と話していて
「俺さあ、~~。」
と自分の事を『俺』、と呼んでいるのを聞き、
ああ、あの子も俺って言うようになったんやな。
あれ、家ではまだ自分の名前で言ってるよな?

と気がつきました。


その後、中学生になって競技関係の超怖いお偉いさんの先生の前で直立不動になり
「はい。僕は~~です。」
と言っているのを聞いたので、先生等目上の人に対しては『僕』。部活の先輩との会話でも『僕』を使用していました。
作文では『私』と書いていました。
ほう。一応、使い分けはできているんやな。
と思いました。


今まで息子にその事を指摘したことはありません。
指摘すると多分、家族の前でも『俺』と呼ぶでしょう。
ひょっとしたら、『僕』(ぼ↗く)かもしれません。
何故、指摘しないのか?
それは、単純にいつまで自分の名前で呼ぶのかという事に興味があるのと、図体も一丁前で、小難しい事を言う成人した息子が「○○はね、~~と思うんよ。」と呼ぶギャップが面白くて、ちょっとかわいいなと思ってしまいます。


今までのブログに息子の会話部分での自分の呼び名を「○○(息子の名前)」と書いてきました。
これがいつ「俺」または「僕」となるのか?
息子が自分のことを「俺」または「僕」と呼んだ時が、完全に1人の成人男性としての自覚を持った証となるのでしょうか。
母親としてはいつ変化するのか楽しみ半分、あとの半分はちょっと寂しく感じてしまうのかもしれません。

ああ、運動不足…。

昨日のブログで、ソフトバレーの活動はトコトン自粛すればいい、と書きましたが、2週間以上となるとやはり運動不足を実感しています。
身体も何となく重く、ストレス発散ができないのも不満と言えるかもしれません。


週に1・2回(たまに3回)、みんなでワイワイ騒ぎながら練習して大汗をかき、帰宅してお風呂上がりのビールの美味しさといったら、言葉に表すことはできません!
バレーをしなくても、ビールは日常必需品ですが。笑


身体の動きも何となく鈍い。
体重はあまりアテにしていなくて、動けるか動けないかの感覚を基準にしています。
1か月程前、帰省していた息子と一緒に買い物に行った時に横断歩道をダッシュする機会があったのですが、
息子「えっ?ハハってそこまでダッシュできるん?50前にしては凄いな!」
とめずらしく褒めてくれたのに、今ダッシュしたら脚がもつれる予感しかありません。


バレーの動きは両腕を上げる動作が多いので、五十肩気味だった私の肩の運動にはちょうどよかったのですが、その動作をしなくなった途端に右肩の動きがぎこちなく、ギシギシと音がするような感じに…。


我が家の2階の踊り場は約3畳ほどのスペースがあり、息子のトレーニングスペースとなっていて、エアロバイクがあります。
このエアロバイクは息子が小学6年生の時、オスグッドで競技ができなくなり、それでも目指す大会に出場するためのトレーニングになればいいと思い、購入しました。
同時期に私もソフトバレーで足首の靭帯を損傷していたので、自分のリハビリにも使用しました。
アナフィラキシーショックで退院後も、体力回復のためにゆっくりと漕ぎ、徐々に負荷を上げていきました。
その後も、息子が怪我をした時や天候不順で練習ができない時のリハビリやトレーニングに使用したり、昨日のブログに書いた、コロナの感染予防の為にソフトバレーをお休みした期間、週3くらいで気晴らしに漕いでいました。


この運動不足解消はエアロバイクで!
と思いましたが、踊り場にはエアコンはありません。この時期、そんな所での運動は正直言ってしたくない。
蒸し風呂状態の体育館での練習には、喜んで行くくせに。
つくづく勝手だなあと自分でも思います。


それならウォーキングやランニングでもすればいいかもしれませんが、あまり気乗りはしません。
朝は寝ていたいし、昼間は暑いし、夕方は蚊にエサをやりに行くようなものです。
田舎なので夜は真っ暗だし、そもそも夜はゆっくりしていたい。
それに、外に出るとなれば例えウォーキングでもそれなりの格好をしないと、むさ苦しいオバサンがさらに『小汚く』なってしまいます。
その点、自宅でのエアロバイクなら、首周りが伸びたTシャツと息子のお古のハーフパンツで、誰の目を気にすることなくガンガン漕げます。


エアロバイクが終わった後に、自重トレーニングと肩周りの関節も動かしておいた方がいいかもしれません。
でないと、練習が再開されても肩が上がらくなっているかも。
50前の身体は、あっと言う間に衰えます。維持すら難しい。
大学は体育学部で、若い頃はフィットネスクラブのインストラクターをしていた経験があるので、トレーニングの基礎知識だけはあります。


そうや!
エアロバイクを私の部屋に移そう!
そしたらエアコンの効いた所で、TVを観ながら快適に運動不足解消できるやん!

そう思い、昨日コロナ関連ではない理由の緊急事態で急きょ帰省した息子に言うと
「そこまでしてバイクする?」
と言われましたが、明日移動してくれるそうです。
一昔前のエアロバイクなので、かなりの重さがあります。
買った時は息子は小学生だったので1人で2階まで運んだのですが、今はもうそのパワーはありません。
こんなところにも、息子の成長と自分の衰えを感じます…。


さあ明日からは動ける50代を目指して、エアロバイクと自重トレーニングを頑張りたいと思います。
もちろん、運動後のビールは美味しくいただきます。笑