12月になって数日が過ぎました。
昨年の今頃、息子は今後を左右する一つの大きな決断をしました。
その頃を振り返ってみようと思います。
息子は毎朝、朝練をしていた時間を学校での朝勉強に充てていました。
朝練時と変わらず毎朝5時半起床。6時半頃の電車に乗って学校に行きました。
学校では同じように、自主的に朝勉強をする仲間達と集まって一緒に勉強をしていたようです。
メンバーは全員、旧帝大や医学部志望。
高3の7月から本格的に受験勉強を開始した息子は誰よりも遅れていたようですが、その仲間達に引っ張られて頑張っていました。
授業が終わってからも学校が解放されている時間内は学校で仲間達と勉強し、その後塾に移動して勉強を続ける日々。
ガツガツと頑張る仲間達と不安や悩みを共有し、供に励まし合いながら一緒に勉強することでモチベーションが上がっていたようです。
学校では『大学受験は団体戦』だと言われていましたが、なるほどこういう事なのかと思いました。
息子「みんな凄いよ。2歩も3歩も先行ってる。」
そらそうでしょ。
君はエンジン全開で勉強して、まだ半年。
みんなね、入学当時からコツコツやってきてるでしょ。
と思いましたが
私 「追いつけ追い越せやな!」
とだけ言いました。
ちょうど12月のこの頃、塾にいる息子から
「帰ってから話しがある」
とLINEがありました。
何の話だろう?とちょっとドキドキして帰りを待っていました。
「志望校を変えようと思う。」
この時点での息子の第一志望は、旧帝大の医学部。
東大理Ⅲほどではありませんが、もちろん超難関の高偏差値。
正直言って、息子には到底無理な志望校であることはわかっていました。
息子自身も、
何が何でも旧帝大!
という思いではなく、
高いところを目指した方が良い結果につながりやすい。
という考えだったようです。
10月・11月に数々受けた模試での第一志望校の判定は、ことごとく
アヒルの行進(E・E・E・E…)。
塾でのAI様には
マジで旧帝大とか言ってるの?この身の程知らずが!
と言われていたように思えたとのこと。
※その辺りの話はこちら
何度か私は息子の成績を知らなかった、と書いてきました。
それは息子が小学生の時、とある事がきっかけとなり
今後、いっさい成績をハハに見せなくていい!
自分で自分の将来を考えて、やるべき事をやれ!
君の人生であってハハの人生ではない!
とブチ切れたのが始まりです。←ブチ切れてばっかり…。
親の感想と印鑑が必要だったので成績表は見ましたが、感想欄にはいつも
自分で必要だと思う事を自分で考え、やっていって欲しいと思います。
とだけ記入してきました。
高校生になり、汚部屋となった息子の部屋に窓を開けたり布団を干すために入ると、散乱している小テストや定期テスト、模試の結果を目にするようになりました。
特に数学と物理は苦戦している様子が分かりました。
医学部志望で、数学・物理が弱いってどうよ?
と思いましたが、こちらからアクションを起こすことはありませんでした。
偏差値もそう高い訳でもなく世間でいう医学部を狙えるかどうか、ギリギリ。
とてもじゃないけど、旧帝大医学部どころか地方国公立医学部でも現役突破は難しい。
世の中そんなに甘くない。
今年は来年の予行練習だな。
ぐらいに考えていました。
けれど、その思いは絶対に表に出すことはなく
できることがあったら相談してね。
というスタンスで応援していました。
受験終了後、現役突破は無理だと思っていた事を息子に告げると、
息子「そうなん!?そんな風に考えてたなんて全く分からなかった!」
との事なので、バレてはいなかったようです。笑
12月で目の当たりにする、アヒルの行進という現実。
AI様のお告げもあり、何となく志望の旧帝大医学部から本気の志望校を真剣に考えたようです。
息子「いろいろ調べて考えた結果、○○大にしようと思う。」
私 「日本国内で国公立ならどこでも。」←現役ではどこも無理だと思っている。
「で、今までの模試の判定は?」←第一志望しか知らない。
息子「今まで志望校として書いたことない。」
私 「は?そしたら見込みも何もわからないの?」
息子「○○大に似た偏差値のところは1回だけBだった。」
私 「・・・。(まあ、予行練習だし。)自分の思うようにしなよ。」
そういうと、息子はホッとしたのかニッコリと笑いました。
私 「でもさ、何で今、志望校変更なわけ?共通テストの結果後でもよくない?」
基本的に志望校を下げるのはNGとされています。
気が緩んでしまい、勉強する時間が減ったりモチベーションが下がったりする可能性があると言われています。
わりとプライド高めな息子の志望校変更が、少し疑問に思ったので聞いてみました。
次回に続きます。