今週のお題「祭り」。
私の住む地域ではお神輿を担いだり男衆が褌一丁で何かを競い合うと言った、いわゆる伝統的な賑やかなお祭りはありません。
そのせいか「祭り」と聞いてピンとくるのは、学校の『体育祭』です。
私自身は運動が得意だったので、運動会や体育祭のクラス対抗リレーや男女混合リレー、スウェーデンリレー(走順で走る距離が異なる)やブロック対抗リレーと、走りに走りまくってた。笑
身体が小さかったので騎馬戦では当然上だし、大縄飛びでも1番前の位置。
大縄跳びの1番前の位置ってたまに縄が地面に付かずに浮いて回ってくる事があり、それに引っ掛からないようにジャンプしながら頭も縄に当たらないような体勢を強いられるのがツライのなんのって。笑
中高のほとんどは体育委員もやっていたので1日中駆け回り、体育祭はホントに『お祭り騒ぎ』でした。笑
そこから約20年を経て、息子の運動会。
この頃から徒競走で『みんなで手を繋いでゴールする』運動会もあるらしいとのウワサを聞くようになりました。
実際に見た事はありませんが、走るのが苦手な子供に対する自己肯定感を下げさせない、だとかの配慮だと思われます。
また最近では徒競走で順位や得点が付かなかったり、希望者のみで徒競走を行う運動会もあると聞きました。
希望者のみの徒競走って、それは陸上競技会では?笑
10年程前になる息子の運動会の徒競走ではそういった事もなく順位も得点も付きましたが、事前に50m走のタイム順で走る組の調整が行われていたようです。
結果、息子は小学3年生から6年生までずっと同じメンバーで競う事に。笑
50m走のタイムが1番早い組だけれど、その4人の中では最もタイムが遅かった息子。
この4年間で最下位が定位置。
これが1つ前の組になるとタイム順では1番になるので、徒競走での順位も変わってくるかと…。
それでも息子は毎年50m走で手を抜く事なく、徒競走の1番早い組での勝負に挑んでいました。
※その辺りの話
結果は残念だったけれど、勝負に負けた経験から弱点を見つけ出し、『次はどうすれば勝てるか』を自ら考える事が重要だと息子には伝えました。

徒競走の順位付けが負けて傷つく子への配慮やいじめに繋がる可能性をなくすためと言うのなら、クラス全員の書道や絵を張り出すのはどうなのか?
少し前に『体育の授業は公開処刑』(運動音痴には大勢の前で恥をかかされて居たたまれない、という意味っぽい。)というネット記事を読んだけれど、書道や絵も上手下手が一目でわかるし、しかも大抵は授業参観日には掲示されているので、これもまた『公開処刑』になるのでは?
けれど書道や絵、ましてや勉強での上手下手や順位に『平等』だの『自己肯定感の低下を懸念』なんて言われない。
運動に対する劣等感や恐怖から逃れ、のびのびと運動会を楽しめる事は将来的に『スポーツは楽しいもの』としての意識に繋がるのかもしれないけれど、運動が得意な子からすれば、その実力を評価されないのは立派な『不平等』だと思うのですが…。
勉強や運動、また書道でも音楽でも順位が上の人や上手な人はどんどん褒めて、周りが認めれば良い。(最近では人前で褒めて欲しくないといった風潮もあるらしいけれど…。)
問題なのは、順位が下の人や下手な人に対して『あなたはできない』という劣等感を周りが植えつける事かと。
優劣を付けるのではなく、よく言われる
みんな違って、みんないい
運動会はそれを学ぶ1つの機会ではないかと思うのですが…。
私が次に運動会を見るとなると、孫ができれば孫の運動会になるのかな。笑
その頃にはどんな運動会になっているのか、ちょっと楽しみにしたいと思います。













