shanの雑日記

子育ての振り返りから日々の雑感など

国際左利きの日

今日8月13日は『国際左利きの日』だそうです。
そんな日があることを今まで知りませんでした。


日本では人口の約10%が左利きだといわれています。ということは圧倒的に右利きが多いので、世の中の製品やサービスも右利きの方が使いやすくなっています。
私は右利きなので何の不自由もなく過ごしてきましたが、息子が左利きであることがわかった時に、ちょっと考えました。


周りに誰も左利きはいません。
2歳で保育園への入園を考えていたので、1番の気がかりなのはハサミでした。
今ならホームセンターにも左利き用のハサミが売られているのを見たことがありますが、当時は幼児用なんてなかったと思います。
みんなと共用で使う可能性のあるものは、右手で使えるようにしておこう!
と考えました。
お箸や鉛筆は、大きくなった時に自分が不便だと感じたら、自力でなんとかしてもらおう。

ハサミは最初から右利き用を持たせたました。
息子も最初から右利き用しか知らなかったので、抵抗することもなくチョキチョキと練習をしていました。
次はボール投げです。
小学生になって友達とキャッチボールをするとなった時、左利き用のグローブがないから仲間に入れない!とかなるとマズいと考えたので、ボールは右手で投げる練習を繰り返しました。
投げることには抵抗があってやり難くそうでしたが、上記の理由を言うと頑張って練習をしていました。


ボールを投げるのは右ですが、バットに左利き用はないので好きなようにさせると、左打ちになりました。
右投げ左打ちの完成です。野球はしなかったので役には立ちませんでした。


最後に教えたのは包丁です。
これも調理実習では共用の包丁を使うことになるので、右手で使えるように練習しました。
私が意識して右手で使えるようにしたのは上記の3点です。
その結果、息子はその後勝手に進化していきました。
左手で使うもの
お箸、スプーン、フォーク、鉛筆等。
右手で使うもの
上記以外。
レードルやテニス等のラケットも右手で持ちます。
息子は自分の事を『エセ左利き』と呼んでいます。


左手でお箸を使うと、みんなでご飯に行った時は必ず端っこに座ることになるし、定食を頼んで出てくると、食べる前に必ず配膳を入れ替えます。
鉛筆等は、縦書きはスラスラと書けますが横書きは自分の手が邪魔になるそうです。
右利きが消しゴムを使う場合、持っていた鉛筆を置いて消しゴムを持ち、消した後にまた鉛筆を持ちますが、息子は左手に鉛筆、右手に消しゴムを持って同時に使います。見ていると面白いです。


今まで左利きであることで唯一困った事は『書道』。
左利きでも絶対に右手で筆を持つように、小中高とも指導されました。
しかも息子の名前は画数が多いので、小筆で名前を書くと、大きくなるか真っ黒になるか…。
小学生の時は泣きながら家で何枚も何枚も右手で書く練習をしていました。
なぜ、書道だけは左利きは許されないのでしょうか?
『多様性を育てることが必要』などと社会では言われているので、学校でも左利きの書道が認められるのでしょうか?
たぶん、当分はムリだと思います。
小学生の時に泣きながら練習をした結果、高校の授業で書いたものがこちらになります。

書道はよくわかりませんが、それっぽく書かれているような気がします。それっぽいので何となく踊り場の壁に掛けています。


左利きの男性は左右の脳の仕組みの違いから、言語機能の発達が遅れがちなのだそうです。
息子が中学2年生ぐらいの頃
あの子と口喧嘩はやめよう。
と思いました。
語彙力をフル活用し、理路整然と話す相手には勝てません。
『エセ左利き』で左右の手を使い分けてきた結果、右脳や左脳が鍛えられたからでしょうか?
きっと脳の機能というより、本人の気質だと思います。

神、だと思った存在

中学時代の部活動を振りかえる中で、息子が一度だけ涙を流した事があります。

理由は厳しい練習や競技成績ではありません。

息子がずっと憧れ続けていた、A君のお話です。

 

息子がこの競技を始め最初の大会に出場した時、A君に出会いました。

A君はこの県でも有名な小学生で、全国の大会にも出場していました。

県の小学生の大会では圧倒的な強さ。

息子は足元にも及びませんでした。

A君とは同じ学年でしたが、息子はその存在感とオーラに少しビビっていました。

息子も次第に表彰台に上がることがありましたが、A君は不動の1位。

表彰式の写真には、必ずA君は1番高い所に立って写っていました。

 

大会が終わると、息子はいつもA君の話しをしていました。

息子「どんな練習してるのかな?いつも1番ってどんな気持ちなのかな?」

と言っていたので、

私「今度の大会で会った時に聞いてみたら?」

息子「無理無理無理。A君は神なんやから。そんな気軽に話できへん。」

私「あんたと同じ小学生やで?」

息子「A君は違うの!」

と言っていました。

 

6年生になり、前半の大会はオスグッドの症状がひどくて息子は大会に出場することができませんでした。

選抜チームの大会後、小学生の最後の大会には出場することができました。

もちろんA君も出場していました。

その大会で息子は初めてA君に勝ち、優勝しました。

優勝直後の息子は喜ぶどころか

「えっ?勝ったん?○○が勝っていいの?」

と不安になったそうです。

 

息子が進学した公立中高一貫校はA君と同じ学区になります。

そうなると、地区の小さな大会でも顔を合わせることになりました。

私「A君とは話しすることあるの?」

息子「無理無理無理。A君は別格!」

と言っていました。

 

ある大会で、競技中にA君が息子に話しかけている様子が観客席から見えました。

私「競技中に何話してたの?」

息子「A君が『一緒に決勝に進もう』って言ってきた。」

とのこと。

とりあえず息子には、競技中にそのような話をするのは他の競技者に対して失礼であることを伝えました。

 

しかし、この事をきっかけに一気に息子とA君の距離が縮まりました。

大会でA君に会うと話しをするようになり、ウォーミングアップやクールダウンも一緒にするように。

A君と普通に話しができるようになった息子はうれしそうでした。

その事を息子に言うと

息子「だって、あのA君が○○に話しかけてくれるんやで!」

例え同級生でも、絶対的な存在でした。

 

しばらくするとA君は大会で勝つことが少なくなっていきました。

中学生になってその競技を始めて伸び盛りの子、越境や住所変更をしてその競技に強い指導者がいる学校に転入し、頑張っている子が力を付けてきました。

息子も同じ時期に同じように勝てなくなりました。

ですが、息子は周りのアドバイスで適正を指摘されて種目を変更し、競技成績を向上させることができました。

 

息子は2年生からクラブチームの練習に参加しましたが、A君は小学生の時からそのチームで練習をしていました。

種目が違うので基本的に練習メニューは違いましたが、同じメニューの時は一緒に練習をしていました。

秋になりA君はクラブチームを辞め、学校の部活のみで練習を続けることになりました。

息子はクラブチームの練習でA君と過ごす事ができなくなって、少し残念そうでした。

 

3年生になると、A君は大会にもエントリーをしたりしなかったりになりました。

ある時の大会終了後、A君は息子に

「今日でこの競技は引退する。中学になって○○君は△△中学校で勉強も大変やのに競技も頑張ってて、ほんとにすごいなって思ってた。そんな○○君と一緒に練習したり戦ったりできてうれしかった。今までありがとう。」

と言ったそうです。

 

その場では堪えていた涙が、帰りの車の後部座席で溢れてきたようです。

息子「A君が○○の事をすごいって言ってくれて、一緒に練習できてうれしかったって言ってくれた…。一緒に練習できてうれしかったのは○○やったのに…。」

常に冷静な息子にしては珍しく、感情が混乱しているようでした。

それほど、A君は息子にとって特別な存在だったようです。

私「A君が○○の事、認めてくれてたんやね。よっかたね。」

と言うと

息子「何があってもこれからも、A君は○○にとっての神、やから。」

と言って部活動を通して、初めての涙を流していました。

 

小学生の時に、『神』だと思えたA君に出会い、ライバルではなく憧れ続けたA君と切磋琢磨しあえた事が、部活動を頑張る1つのモチベーションになっていたのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勉強と部活動の両立~中学編②~

勉強と部活動の両立~中学編①~の続き

shanru.hatenablog.com

 

「3日開いたら感覚が鈍る。」

と言う息子は、定期テスト発表から期間中もクラブチームの練習には必ず参加。

学校では、テスト後に大きな大会が控えている場合で、かつ今までの成績から判断され、許可が下りれば部活をすることができます。

息子は大会が控えていない時でも許可を貰い、定期テスト発表中も期間中も放課後に自分でメニューを考え、たった1人で練習をしていました。

 

毎日出る宿題は、昼休憩や授業中?など、その日のうちに学校内で済ませていたようです。

家で宿題をしているのをあまり見たことはありませんでした。

毎月届くZ会もやったりやらなかったり。

Z会は『とりあえずZ会があるし、大丈夫やろ!』

という親の自己満足のためのアイテムでしかありませんでした。

 

定期テスト勉強は2週間前には取り組んでいるようでした。

何をどう勉強していたのかはわかりませんでしたが、

息子「成績が落ちたら次のテスト期間に練習ができなくなるし、あいつは部活だけやと思われたくない。」

と言いました。



途切れることなく練習をするためと自分のプライドのため、定期テストにも全力で取り組んでいました。

何がモチベーションになるのかわかりません。

この後、定期テストの成績は3位から5位ぐらい。

不動の1,2位がいたそうです。

 

このようにして全てが部活中心になりました。

クラブチームの練習ではガッツリとしごかれ、練習終了後に立てなくなった息子を車の後部座先に放り込んで帰った事も1度や2度ではありません。

学校では高校生の先輩に食らいついて練習。

先輩方も、中学生に負けてはいられないと日々真剣勝負だったようです。

 

これだけしっかり練習を積むと、競技成績も向上しました。

専門種目では県のランキングで学年1位になりました。

県の強化指定選手にも選ばれましたが、息子は

「中学生の強化練習に行くより、学校で実力が上の高校の先輩と練習した方が強くなる。」

と県の強化練習には一度も参加しませんでした。

代わりに、顧問のお力添えで高校生の強化練習や合宿にも参加させていただきました。

このあたりは、公立中高一貫校の利点であったのかもしれません。

息子は特殊な環境であったことと高校受験がなかったために、一般的にはほぼ参考にはならないかと思いましたが、知り合いにはここまでをお話しました。

 

3年生になりました。

相変わらず部活中心でしたが、定期テストも頑張っていました。

専門種目では総合1位になりましが、季節限定の代表選考を伴う大きな大会では、みんなと少し専門とする競技の性質が違う息子は苦戦していました。

例えると野球とソフトボールのような・・・。

似ているけれど、練習方法が違います。

息子は自分の専門種目のシーズンが終わってから、大会に向けての練習に切り替える必要がありました。

この大会に出場するのも最後になるので、今まで以上に練習に打ち込んでいました。

選考会を突破し選抜チームに選ばれ、息子はチームのキャプテンを任されました。

チームは優勝候補であったので、その責任の重さと、自分の競技力向上のプレッシャーと必死で戦っているのがわかりました。

息子自身が自分の力で乗り越えなければならない壁であったので、私は黙って見守ることしかできませんでした。

 

大会ではチームのみんながそれぞれの役割を果たし、優勝することができました。

優勝インタビューでアナウンサーが

「勝てる自信はありましたか?」

と息子に尋ねると

「自信があるないよりも、やる。だと思いました。」

と答えました。

 

息子は勝負には勝ちたいとは思うものの、それを決して表に出すタイプではありませんでした。

体育会系の私には、それを歯がゆく感じていました。

「気持ちを表に出すことで、結果がついてくる事もあるんやで!」

息子が専門種目の大会で負けた時にそう言った事があります。息子は

「そうかもしれないけど、それは○○の戦い方じゃない。」

と言いました。

 

「自信があるないよりも、やる。」

という息子の言葉を聞いた時、表には出さないけれど人一倍強い思いがあり、冷静に分析してそれをやり抜くための努力を惜しまず、その思いを実現した息子を尊敬しました。

 

この子は自分にとって何が必要で、どうするべきか判断できるだろう。これからは余計な口出しはしないでおこう。

と決めました。

 

こう決めたことが後々、悶々としながら高校での部活と大学受験を見守ることになってしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勉強と部活動の両立~中学編①~

少し前、中学2年生の息子さんがいる知り合いに、ウチの息子がどのようにして勉強と部活動の両立をしていたのかと聞かれたことがありました。

何のお役にも立てないかも、と前置きしてお話したことについて書いておこうと思います。

どうしても中学では、とある部活に入りたい。

地元中学にはその部活がなかったのと、学びたいと思うのなら思う存分学んでほしいと思ったことがきっかけで中学受検をした息子。

※詳しい内容はこちら

 

shanru.hatenablog.com

 

中学受検を突破し、公立中高一貫校に進学しました。

体験入部をすることなく速攻で入部届を提出した息子は、入学してすぐに部活動を開始しました。

中学入学が決まった時、周りはきっと『できる子』ばっかりだろうし、授業についていけるのかが心配でした。

息子に塾に行くかと尋ねると、とりあえず今のところは行かなくて良いとのことだったので、しばらく様子を見ることにしました。

ただ、息子には

「授業がわからない、となってからでは遅いからね。わからないかも?ぐらいできちんとSOSを出しなさい。」

とだけ言いました。

とは言ってもやはり不安だったので、Z会に入会しました。

 

さて、熱望していた部活に入部した息子。

当時は中学に指導できる先生がおらず、高校の顧問の下、高校生と一緒に中学生は別メニューで練習をしていました。

1年生の頃は、ごく普通に部活をしていました。

普通というのは、朝練もなく学校内の活動のみで、定期テスト前になると部活は停止。

テストが終わると部活は再開。

しかし、定期テストの成績が振るわなかった生徒は一定期間、停止となったそうです。

 

そんな『普通』な調子だったので、小学生の時にしっかり練習をして少し結果を出した競技成績も『普通』になってしましました。

※その時の様子がこちら

 

shanru.hatenablog.com

 

その頃、息子の中に何かがくすぶっているのを感じていました。

 

少しして、また代表選考を伴う大きな大会の季節になりました。

この競技は小学生だけでなく、中学生と合同で行われます。

息子は相変わらずこの大会の出場を目指していたので、中学生の部の選考会に出場し、ギリギリで選考会を突破して、選抜チームに入りました。

その選抜チームの練習に、息子は全くついていくことができませんでした。

 

大会が終わり、選抜チームの監督から

「お前は素質はあるんや。ただ、圧倒的に練習量が足りていない。強くなりたいのならウチのチームで練習しないか?」

と監督が普段指導しているクラブチームの練習に誘われました。

息子「このままではイヤや!強くなりたい!」

そう言って、週2回のクラブチームの練習にも参加することになりました。

 

2年生になると、学校では高校生と朝練を開始。

クラブチームの監督はその競技の重鎮でもあるので、監督から

「○○のこと、頼んどくわ。」

と言われた高校の顧問は

「今日からお前は高校生と同じメニューやから。あの先生はお前に期待してるぞ。」

と言って、息子は高校生と同じメニューをこなすことになりました。

一気に部活重視の中学生生活を送ることになりました。

 

こうなると親としては勉強の事が心配になりました。

息子は部活動に支障をきたすからと、塾はキッパリと拒否。

その都度の定期テストの細かい成績は見ていませんでしたが、成績表を見てみると、息子の総得点と分布表から考察したところ、学年で10位前後といったところでした。

成績表には、はっきりとした順位の記載はありませんでした。

これならとりあえず授業はついていけているんだな

と判断して、無理に塾を薦めることはやめました。

 

 

長くなったので次回に続きます。

 

 

Kちゃんの観察日記

今朝、あまりにも暑くて化粧をしている間にも汗が流れました。
我が家は朝、エアコンは付いていません。
母はエアコンが苦手で、冷えるらしいです。
さすがに日中は付けていますが、リビングはエアコンを入れても30度近くはあるかと思います。
私はガンガンに冷えているのが好きなので、耐えられません。
じっとしていても汗が流れるので、
早く職場に行ってしまえ!
と思い、いつもより15分ほど早く出勤しました。


毎朝、私が1番に出社します。
鍵を開け、電気をつける前に先ずはエアコンをピッ。
電気をつけ、カーテンを開けてパソコンを立ち上げるとしばらくの間、エアコンの下で直風にあたってひと息ついていました。


暑さも落ち着いたので、次はトイレのタンクに水を溜めます。
通常は流した後、自動で水が溜まるかと思いますが、私がこの会社に来た10年前からその機能は壊れています。
なので毎朝バケツで水をタンクに流し入れます。後は適時に水を溜めます。


※以下、虫関係のお話になります。苦手な方はごめんなさい。


その後、日課にしているKちゃんの様子を見ます。
Kちゃんは、5ミリにも満たない小さな…ク○です。
会社のトイレにはよくク○の巣が張られその都度撤去してきましたが、ある日の朝、直径20センチぐらいの絵に書いたような見事な巣ができていました。
撤去するのが惜しいと思い、残して観察をしてみようと思いました。


その巣のセンターポジションにKちゃんはいました。
普段、トイレに行くときは眼鏡を外すので小さいものはボンヤリとしか見えません。
ハッキリと見えていたら、気持ち悪くて巣は撤去していたかもしれません。
さすがに『ク○の観察』だとちょっとな、と思うので『Kちゃんの観察』とすることにしました。


さて今朝もセンターポジションにいました。
見事な巣の下には、雑多に作られた別宅があります。
別宅は本宅とは違いグチャグチャと糸が張られていて、多少ゴミも付いています。
本宅には少しのゴミもありません。
私が覗くと、危機を感じるのか必ず別宅の奥に避難します。
その慌てた様子が面白くてわざと覗き込みます。


今日も覗き込むとKちゃんは別宅の奥に避難してしまいました。
その時、本宅に2ミリ程の小さな虫が引っかかりました。
本宅が揺れています。
Kちゃんは猛スピードで本宅に駆け上がり、引っかかって暴れている小さな虫を糸を出してグルグル巻きにしていきました。
すごいスピードで小さな虫はクルクルと回転しました。
グルグル巻きになった小さな虫を持って、本宅のセンターポジションに着きました。
Kちゃんの朝食だと思うようにしました。


その様子を見ていると、Kちゃんは朝食を持って別宅に降りて行ってしまいました。
落ち着いて朝食をとることができなかったのかもしれません。


お昼前にトイレに行くと朝食は済んでいる様子でした。
調べたところ、Kちゃんの食べる方法では残り物が出るはずですが、本宅にはありませんでした。
とすると、この別宅にあるゴミのようなものが残り物?
食べ物を取るために、本宅は常にきれいにしているようです。


今のところ、周辺にはKちゃんのライバルはいません。見えない所にいるのかもしれませんが。
しかし、今までもたくさんの巣を撤去してきたので、いつの日かライバルは現れるでしょう。
その時にライバルと共にKちゃんの巣も撤去するべきか、Kちゃんは残すのか、ライバルも残すのか・・・。
そうなると巣だらけになってしまうしなあ・・・。
今、そんなしょうもない事で少し悩んでいます。
あまり清々しい内容のお話ではありませんでしたが、目下の日課と悩み事なのでブログに残しておこうと思いました。


昨年の今頃は、息子の受験関連でこういった事に気がつく余裕は全くありませんでした。
こんな事で悩んでいるということは、つくづく平和なんだなあと思います。

ライバルは、ハハ

仕事が終わって帰宅すると、家の前の畑で姪っ子と甥っ子が『ばあばのお手伝い』と言う名目で遊んでいました。その場にいた妹に

私「子供2人居てたら夏休みは大変やなあ。」と言うと

妹「ケンカもするけど基本的に2人で遊んでるからラクやで。○○が小さい時に、お姉ちゃんずっと1人で相手してたやん?そっちの方がしんどいと思うわ。」

と言われました。

 

元夫と一緒に生活している時から、ずっと1人で息子の世話をしていました。

元夫は前回にも書いたように国体出場を目指していたこともあり、仕事が終わるとトレーニングをしてから帰宅していました。また上司からのお誘いは絶対優先。

帰宅は早くても22時を過ぎ、飲みに誘われると終電間近。

休日は競技練習で出かけます。

元夫は息子のおむつを替えたことはないし、お風呂に入れた事もありません。

親子3人でお出かけというものもしたことはありませんでした。

そんな日常だったので、息子と2人っきりで過ごす事はごく当たり前の事で何の疑問もなかったし、それをしんどいと思うこともなく、実家に戻ってきてからも家事をしながら息子と2人で遊んでいました。

 

息子はひとりっ子です。

私は妹がいたのでひとりっ子はわかりません。

ひとりっ子をどう育てていこうか悩みました。

よく『ひとりっ子=わがまま』だと言われます。

しかもウチは母子家庭。

偏見は倍になりそう。

そう思いました。

 

2歳で保育園に行く前、お互いに別々のおもちゃで遊んで貸し借りの練習をしました。

お菓子を1つ持ってきて、半分こで食べました。ジュースも半分こ。

ひとりっ子はおもちゃもお菓子も全部独り占めできますが、保育園ではそうはいきません。

じゃんけんができるようになると、半分こしたお菓子の大きい方争奪戦をしました。

イチゴなどはそれぞれに分けるのではなく、1つのお皿に入れて早い者勝ちで食べました。圧倒的に私が数多く食べました。

息子「ハハ、ずるい~!」

と言って泣きましたが、

私「子供が1人やからって食べたいだけ食べられると思ったら、大きな間違い!!」

と容赦しませんでした。

別にたくさんイチゴが食べたかったわけではありません。

家の外に出ると、世の中は競争なのだ!

と伝えたいと思っていました。

 

競争といえば、かけっこも容赦しませんでした。

公園でよその親子がかけっこをしていて、お父さんやお母さんがわざと負けて

「△△くん、すごいね~!速い速い~!」

と言っているそばで、ぶち切りで息子を置いて走りました。

泣きながら走る息子。

私「泣くな!大人が勝って当たり前や。ハハは絶対にわざと負けることはしないから。悔しかったら実力でハハに勝ってみな!」

身近で大人をなめている子供を知っていたので、

大人をなめるな!

と思っていました。

縄跳び、鉄棒、ボール投げにバドミントン等、全てに完全勝利。

こうなってくると、少し大人げなかったかもしれません・・・。

 

「学童でオセロは負けたことないねん!」

と豪語する息子。

じゃあ、ハハとやってみよう。

真っ黒にしてやりました。

息子「絶対、絶対に全部ハハに勝つから!!」

と泣きながら宣言しました。

 

その後、あっという間にかけっことオセロは息子には勝てなくなりました。

何事も私にコテンパンにやられ続けた息子は、超が付くほど負けず嫌いに仕上がってしまいました。

ここまでの仕上がりにするつもりはなかったのですが・・・。

後々、この負けず嫌いに振り回される日々を過ごすことになります。

自業自得とはこの事を言うのかもしれません。

思わぬ方向に進んでしまった息子を思い出すと、子育てって本当に難しいものだなあと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

甲子園の思い出

夏の全国高校野球が甲子園で開幕されました。

TVで甲子園の中継を観ると、様々な思い出が蘇ります。

 

私は学生時代に、甲子園球場で売り子のアルバイトをしたことがあります。

同じ体育学部の友達から「トレーニングになってお金が貰えて野球が観られるバイトしない?」と誘われました。

 

野球観戦は好きでしたが、特にどこのファンというものはありませんでした。

その友達は大の広島ファンでした。

カープカープカープひろっしま!

ひーろしっま、カープ

友達の影響で、未だにそのフレーズだけは覚えています。

 

さて、その友達と売り子のアルバイトに募集し、採用されました。

多分、応募してきた人はみんな採用だったと思います。

当時は最低基本給が交通費込みの1試合5,000円ぐらいで、売り上げの1割が取り分となりました。

1番人数の多い売り子は、もちろんビールでした。

私は野球が観られるのならそれでよかったので、何の売り子に応募するのかは友達に任せていました。

友達が応募したのは『ウイスキーの水割り』の売り子。

そんなの売ってるの?と思いましたが、友達いわく

「ビールは多すぎてライバルが多い。ここは希少価値を狙わんと稼げん!」

とのこと。

友達が言うことにも一理あるかな、と思いました。

値段はビールより50円ほど高かった記憶があります。

 

ウイスキーの水割り』を売るには、氷+水の瓶+ウイスキーの小瓶+おつまみ

+紙コップが必要になります。

それらが入った箱を肩から担ぐと、肩に食い込む重さがありました。

実際どのようにして売るのかというと、内野席の階段を上ったり降りたりしながら

私「ウイスキーの水割り、いかかですか~!」※ひたすらくりかえし

お客さん「おう!おねーちゃん!水割り1杯くれや!」

とご注文が入ります。

そこで、コップに氷を数個とウイスキーの小瓶からウイスキーを注ぎ、水の瓶を開けて紙コップに注ぎ、マドラーでくるっと一回しして

私「おまたせしました~!ありがとうございます~!」

とお渡しします。

ビールの缶をプシュッと開けて紙コップに注げばできあがり、に比べると手間がかかります。

ちなみに、ビールもウイスキーもジュースも決して瓶や缶をそのままお客さんに渡してはいけません。

何故なら、試合の結果にヒートアップして球場内に投げ込むのを防ぐためです。

それと空いた瓶や缶で売り上げが計算されます。

たまに「そのまま瓶でくれや!」

と言われることがありましたが、そんな時は

「すいませ~ん。これ持って帰らないとお給料貰えないんですう。」

とニッコリ笑ってやり過ごしました。

 

重たい商品を持って、甲子園の内野席の階段を上ったり降りたりを繰り返しました。

疲れてくると邪魔にならない所に行って野球観戦。

あんまり売れないなあ、という日は主に野球観戦で終わりました。

やっぱり1番売れるのは、阪神VS巨人戦です。

当時は満員で5万5千人が入れたかと思います。

熱気も勢いも違いました。

友達は阪神VS広島戦になると、アルバイトはそっちのけで広島の応援をしていました。

一番売れなかったのは阪神VS大洋戦(当時)。

巨人戦は多いときは1試合で約20.000円近く稼ぐこともありましたが、大洋戦はほぼ基本給で終わりました。

 

大学を卒業し、数年して元夫と知り合いました。

元夫は会社関係か何かで、夏の高校野球の内野席チケットを手に入れることができました。

毎年夏になるとチケットを貰い、1人で高校野球観戦に出かけました。

元夫は、とある競技で国体を目指していたこともあり、休日は練習に行くので私は1人であちこちに出かけていました。

 

朝イチから甲子園に出向き、銀傘の下の席を確保します。

持参した朝食を取りながら第一試合を観戦。

お昼になると、持参したお弁当と売り子さんからビールを買って昼食。

第三試合の頃には少しうたた寝

内野席の銀傘の下は日陰で、甲子園特有の浜風も吹くので当時は真夏でもそんなに暑く感じませんでした。

最後の第四試合をビールと共に観戦し、そんな風にして一日中甲子園にいました。

 

1998年(平成10年)の夏は決勝戦のチケットを貰いました。

高校野球に詳しい方ならご存じかと思いますが、この決勝戦は『平成の怪物』と呼ばれた松坂大輔投手が、決勝でノーヒットノーランを達成して優勝を決めた試合です。

歴史的な試合を目の前で観ることができました。

試合終了後、観客席のみなさんが立ち上がって拍手を送っていた光景を覚えています。

 

毎年夏になりTVで甲子園の中継を観ると、重くて大変だった『ウイスキーの水割り』の売り子の記憶と松坂大輔投手の気迫、それを見守る観客の一体感が思い出されます。

この夏もそんな事を思い出しつつ、高校生達の熱い戦いをTVで観戦したいと思います。