shanの雑日記

子育ての振り返りから日々の雑感など

息子のウインドブレーカーを着て

寒さも増してきた昨日の夜、久しぶりに平日のバレー練習に行ってきました。

以前はウチのチームも火曜日の夜に練習をしていたのですが、なかなか人数が集まらないので体育館の枠を手放しました。

年間の体育館使用料も無駄になるので…。

昨日は私達の金曜日バレーの練習に助っ人で来てくれているチームの助っ人。笑

人数が集まらなかったようで、急遽お呼びがかかりました。

平日の夜は大抵ヒマだし、普段お世話になっているのでお呼びがかかれば参加します。

お互いに助け合いは大事。

 

外に出ると寒い。

体育館の中も底冷えします。

とにかく寒い!

夏の体育館は灼熱地獄ですが、冷気漂う冷えっ冷え体育館の冬もまた、それなりの装備が必要です。

 

※こちらは夏の装備の話

shanru.hatenablog.com

 

プレー中はあまり着込むと動けなくなるのでインナーを上下、薄い裏起毛の物にしています。

動いている間は大丈夫なのですが、問題は点付けでコートの外に出ている時と行き帰りの装備!

動きが止まったり外に出ると一瞬で身体が冷えます。笑

下は昔から使っている黒いウインドブレーカーを重ね着します。(もっと寒くなったら裏起毛の物に変更予定。)

上は息子から譲って貰った、中厚手のウインドブレーカーを羽織ります。(もっと寒くなったら中にパーカーを着込む予定。)

 

 

この息子から譲って貰ったウインドブレーカーは、息子が小学生の時に念願叶ってメンバーに選ばれた地元市の選抜チームの物。

選ばれた選手にはウインドブレーカー上下と練習用の半袖・長袖Tシャツが地元市から支給されました。

なのでウインドブレーカーにも地元市の名前と〇〇〇TEAMと書かれています。

息子は4年間選抜チームに選ばれましたが、息子がこのウインドブレーカーを着て地元市のスーパーに行くと、

「〇〇〇の子?今年も頑張ってね!」

と、ホントによく声をかけられました。笑

地元市の特に年配の方々は、毎年熱心にこの競技を応援して下さいます。

中学3年生の時に新しいウインドブレーカーが支給されたので古い方は不要となったのですが、息子はなかなか譲ってはくれませんでした。

身体も大きくなり、小学生の時に支給されたSサイズは着ることができないのに…。

 

憧れに憧れて、途中で怪我もあって競技ができない期間もありながら、中学受検の勉強と並行しつつ必死に練習して結果を出して。

そうしてやっとの思いで手にした選抜チームのメンバーとしての象徴の一部である、このウインドブレーカー。

それを着られなくなったからと、簡単に手放す事が出来なかったのだと思います。

大学進学で荷物をまとめている時、

息子「ハハ、もうこれ使っていいよ。」

そう言ってSサイズのウインドブレーカーを譲ってくれました。

新しい方は大切に保管しています。

 

冬になると地元市ではたまに、『☓☓(地元市)〇〇〇TEAM』と書かれたウインドブレーカーを見かける事があります。

現役の小中学生はもちろん、私と同年代かそれ以上の方も。笑

息子さんや娘さん、お孫さんから貰ったんだろうなあ。

もう20年くらいは続いているので、ウインドブレーカーにも歴史が見られます。

あれは2つか3つ前の物かな?

となって面白い。

昨日の夜もバレーに行く前に地元市のドラッグストアに寄ったのですが、新しいタイプのウインドブレーカーを着た現役中学生に遭遇しました。

回れ右してコソコソと立ち去る私。

何となく、このウインドブレーカーを現役選手の前で着るのは申し訳なくて。

現役選手にとっては多分、メンバーの一員である誇りでもあると思うので…。

 

この時期になると、体調を崩さぬよう毎年受験に挑むような体制で支え続けた選抜チームの4年間でした。

特に最後の年は自身の調子が上がらず、その中でもチームのキャプテンとしての責任とプレッシャーで押し潰されそうな息子を叱咤叱咤、時には激励の日々…。

そんな胃の痛くなるような選手の親はとっくに卒業しましたが、私も毎年YouTubeを観ながらこの競技を応援しています。

「今年も頑張って!」

そう心の中で声をかけてお店を出ました。

色んな思いが込められた暖かいウインドブレーカーのポケットに両手を突っ込んで、バレーの練習に向かいました。