~小学生時代の振り返り⑤~の続き
「中学では○○部に入りたい」と言った息子。
4年生の時にサッカーと野球の勧誘から逃れるために無理矢理放り込んだクラブです。
なぜ無理矢理放り込んだか。
それは、お茶当番や車出しが私には無理だと思ったからです。
サッカーも野球も、週末になると県内あちこち、時には県外まで遠征がありました。
お揃いのTシャツを着て応援する保護者の中には入れない、というか入りたくない。
ママ友付き合いというのはどうも苦手でした。(今も)
それに息子に球技の才能がないであろうことは、前からわかっていたので。
そんな理由で、とある競技(Aとします)に放り込まれた息子でした。
当時は練習も土曜日の午前中のみで、試合もほぼ決まった会場で行われます。
クラブの保護者の付き合いも、送迎や試合でお会いした時に挨拶をする程度。
親の負担感もありませんでした。
突然放り込まれ、あまりやる気のなかった息子。始めたばかりの頃は2年生の女の子にも負け、試合に出てもパッとせず、な状態でしたが、期間限定でこの地域では学校単位で行われるAに派生する競技(Bとします)の練習に参加してから、息子の様子が変化しました。
Bにどっぷりハマった息子。
Bを担当する先生が当時の担任だったこともあり、毎朝自主トレーニングをされている先生から誘われて、一緒にトレーニングをさせていただくこともありました。
そうしているうちにメキメキと力を付けて、学校のBの中では6年生男子にも勝てるようになり、学校単位で行われるBの大会では6年生に混じって参加しました。
5年生になるとBの練習のおかげかAの成績も良くなり、試合では上位に入賞することもありました。
そしてまたBの季節になりました。
この頃は、平日週2回の通塾+土曜日の午前中のA+毎朝学校でのB練習+塾の宿題。
徐々に忙しくなってきましたが、楽しそうでした。
こちらの地方ではBの大きな大会が開催されます。
息子はその大会の出場を目指して選考会に参加しましたが、実力不足で落選しました。
その大会は毎年、地元TVで録画放送されます。
息子はそれを観て「来年は絶対に出るから!」と言い切りました。
「出たい」ではなく「出る」
私「受検とBの両立、これから大変なことになるよ。できる?」
息子「できるんじゃなくて、やるから。」
息子の言葉に強い決意が感じ取れました。
春休みも来年の大きな大会出場を目指し、1人で自主トレーニングを続けていました。
6年生になり、週3日の通塾+土曜日のA+週末模試+塾の宿題。
塾の宿題量も増え、さらに忙しくなりました。
ところがこの頃、急激に身長が伸びた息子は『オスグッド病』を発症し、
思うようにAの練習に参加できなくなりました。
目の前に迫ったBの季節に対して焦る息子。その様子を見てさらに焦る私。
息子にとってBと受検は両輪となっていました。
一方が欠けると、もう片方を頑張るモチベーションが下がってしまうことは明らか。
何とかBができるように、あちこちの病院や整骨院、整体に連れて行きました。
電車で2時間かけて行った所もあります。
私は必死でした。
どこに行っても「痛みのあるうちはBはしないで下さい。」と言われました。
やったあらアカンのなんて、わかってるわ!
それでも最後までやらないと、息子の心が折れてしまうんや!
と私は思っていました。
一般的に、痛みのあるうちはトレーニングをしてはいけません。
まして、成長期に無理をさせてはいけません。
けれど、今は挑戦させないといけないとの思いでいっぱいでした。
ダメ元で訪れた一件の整体院で初めて
「痛みと付き合いながらBができる方法を、一緒に探していきましょう。」
と言ってくださいました。
6年生の秋には軽く自主トレーニングができるようになりました。
この頃、夕方は通塾と塾の宿題で時間が取られてしまうので、毎朝に自主トレーニングをしてから登校するといった生活を過ごしていました。
またBの季節がやってきました。この頃のスケジュールは、
週3日の通塾+毎朝学校でのB練習+週末の模試+週末の特別講習+大量の宿題。
家では大量の宿題をこなしつつ、しっかり食べて早く寝るように心がけました。
このスポーツとの両立が、息子の中学受検での大きなポイントとなりました。
なのでより丁寧に振り返って、記憶を残しておきたいと思いました。
長くなったので、次回に続きます。