~小学生時代の振り返り⑥~の続き
息子に寄り添った整体と自身の毎晩のストレッチのおかげか、オスグッドの症状のも改善されていきました。
そして選考会に出場し、結果を出して息子は選抜チームに選ばれました。
選抜チームに選ばれると、ケガや病気にならない限りは大会に出場することが確定となるため、私はこれで受検に本腰が入れられると安心していました。ところが、
息子「大会に出るのなら、1軍で出る。」
選抜チームは、1軍・2軍・3軍と実力で分けられて大会に出場します。
選抜チームに選ばれると、平日放課後の練習会やチームの指示によって学校で行われる朝練、週末に行われる練習会には必ず参加しなければなりません。
週3日の塾+週4日のB練習会+週3日の学校での朝練+週末の模試
+受検直前の特別講座+大量の課題
1週間7日あっても足りなく感じました。
国語の塾とB練習会の曜日が重なり、息子はBを選択。塾に相談すると先生は
「国語は1人でできると思います。○○君の後悔のしない方を選んで下さい。」
とおっしゃって下さいました。
週末、Bの早朝練習後に車の後部座席で着替えながら移動し、模試の会場に放り込むといったこともありました。
もちろん、日々の課題も取り組まなければなりません。
練習のない日はもちろん、練習で疲れていようが毎日机に向かっていました。
息子は受検前の約2週間、この驚異的なスケジュールをこなしていきました。
険しい顔つきで、両立を図ろうと必死で立ち向かう息子を側で見ていて、
小学生にこんな無理をさせて良いのだろうか、と悩んだこともあります。
けれど、やり遂げようとしている息子の足を引っ張ってはいけないと思いました。
「二兎を追う者しか二兎を得ることはできない。両方を手に入れたいのなら、ここはやり切るしかない。○○ならできるとハハは思う。」
と言うことしかできませんでした。
そうして迎えた受検当日。
「行ってきます。」
と一言だけ言って、志望校の校舎に入っていった息子。
その横顔は、これまで見せたことのない引き締まった表情をしていました。
受検当日(2日間)もBの練習会はありました。
受検を理由に2日間欠席しているので、息子は受検が終わって帰宅後すぐに、
自主練習をするために家を飛び出していきました。
1週間後の合格発表(郵送通知)の日、もちろん息子は練習会に参加していました。
通知を手にしたものの、息子が開封したいと言っていたので、練習が終わるのをヤキモキしながら待っていました。
息子帰宅。
私「早く開けて。もう耐えられない。」
息子「待って。うがいと手洗いをしてから。インフルになったら大会でられへん。」
まあ確かに。やっと開封。そこには『合格』の文字がありました。
これでBのみに集中できるようになりました。
それまでは、やはり両立で気力・体力共に消耗されていたこともあるのか、息子の実力はほぼ2軍といったところでした。
今まで以上に練習に取り組み、調子も実力も短期間で上がっていきました。
大会目前に、チームの監督が息子とT君のどちらを1軍に入れるかを悩んだらしく、
大会前日に息子とT君のみで、1軍決定戦が行われることになりました。
その決定戦の会場に、学校での朝練を担当して下さった5年生の時の担任の先生がいらっしゃいました。
「明日(大会当日)は所用があり、応援に行けないので今日来ました。
○○はどうしてあそこまで頑張れるのかと思うほど、本当に頑張ってきました。
○○を見ていると、周りは自然に応援したくなってしまいます。
○○はそういう子供です。」
とおっしゃってくださいました。
また、受検前には面接指導を買って出てくださった校長先生の応援もあり、息子はT君に勝利し、1軍に選出されました。
そして大会当日。
息子は受検の時よりも緊張をしている様子でした。そうかもしれません。
1年間、ひたすらに努力をし続けて手に入れた憧れの舞台に立てるのですから。
大会では期待された以上の力を出し、1軍は優勝することができました。
息子はこの頃が人生で一番しんどかった、と何度も言っていました。(大学受験前)
けれど、この経験があったから大抵のことは乗り越えられる、
と自信にも繋がったようでした。
『二兎を追う者しか二兎を得ることはできない』
言葉にすれば簡単ですが、そう容易いものではありません。
実際に立ち向かう子供も、それを支える親も心身共に疲労困憊します。
本当にキツかった。
大人からすればただのスポーツの大会ですが、その瞬間を生きる子供にとっては受検以上に譲れないことだったのかもしれません。
後悔したくないのなら、両方を諦められないのなら結果がどう出ようとも、最後までやり切るしかない。
親子で、そう覚悟を決めました。
初志貫徹を成し遂げた息子は、ひとまわり成長したようでした。
これまでの息子と並走ではなく、これからは追走という形で支えていかないと。
その転換期を実感した受検との両立でした。