題名のとおり、1人暮らしをすることになりました。
このブログを書いている段階では、住むところが決まり保証会社の審査待ちの状態です。
今は持って行く物と捨てる物の選別作業をしています。
実家に戻って約18年。
物が増え過ぎました。
今度のお休みには自治体のゴミ処理場に、第一弾として持って行く予定です。
何回通うことになるのやら…。
さて、1人暮らしをするに至った経緯はHAPPYなものではありません。
私のブログは記憶を残す事をしているので、このあたりも書いておこうと思います。
読んでいて不快に思われるかもしれません。
元々、昔から家族仲は良くはありませんでした。
小さい頃から母親と父親の仲は最悪。
母親は父親に対して、結婚当初からの様々な不満があったようでした。
母親は父親には面と向かって言えない愚痴をいつも私にぶつけてきました。
たまにヒステリーを起こしたり…。
それがイヤで、大学は家から通えないところしか考えていませんでした。
私の離婚が決まった当時、無職で息子は1歳半。
息子の事を何よりも優先して考えるようにと両親は言い、実家に戻ってくるようにと言ってくれました。
無力の私は実家を頼ることにしました。
同居を始めると、必然的に息子を育てることに一致団結。
3人がかりで息子1人の子育てをしました。
笑い声が絶えず、私の幼少期には無かった世界がありました。
本当に楽しかった。
バラバラだった家族が息子の存在で繋がっていました。
ところが息子が高校生になったあたりから、昔以上に関係が悪化。
長年一緒に生活していると私も含めて3人それぞれに不満もたまり、いっきに爆発しました。
父親VS母親、父親VS私、私VS母親。
父親とはケンカもするけれど、和解します。
お互いに『悪かった。ゴメンナサイ』と言うことができます。
けれど、母親は絶対に自分が正しい人なので分かり合えることができません。
私も頑固なので、妥協はしません。
これは母親が間違っている、と思ったことはハッキリと言います。
昔の聞くことしかできなかった子供ではありません。
そんな環境を嫌った息子は、絶対に家から通える大学には行かないと決めました。
息子は両親のことは同じくらいに大切に思っています。
大好きなおじいちゃんとおばあちゃんが絶えずいがみ合い、そこに私も参戦することがイヤなのです。
息子の気持ちは痛いほどわかるので、了承しました。
けれど、今まで育ててもらった礼儀として帰省はするように約束させました。
両親にとってはかわいい孫であり、息子に対する思いは父親も母親も同じです。
以前母親とやりあった時、息子が家を出たら私も出ると言い捨てました。
けれど、私が出て行ったら今はお互いの存在を無視し合う両親のパイプ役がいなくなり、完全に家族は崩壊してしまいます。
その私がいなくなると、両親の関係を嫌っている息子は帰って来ないかもしれません。
息子のことがかわいくて仕方がない両親にとっては、あまりにも酷だろう…。
そう思っていたので、少し様子を見ようと思っていました。
そんな思いも母親には全く伝わっていなかったようです。
そんなある日、また母親と衝突しました。
それでお前はいつ出て行くんや、と。
その言葉を聞いて、私が中学生の時に母親が
「お前らがいるから離婚できないんや!」
と私に向かって言い捨てた時の事を思い出しました。
この言葉があったから、無力でしたが私は離婚しました。
将来、息子に対して絶対にこの言葉を言ってはいけないことを知っていたから。
自分が何のために生まれてきたのかわからなくなった記憶。
この世に存在してはいけなかったのか…
この思いは息子を産んで母親となった時に
私はこの子の母となるために生まれてきたのだ。
と思えるようになりました。
母として存在することの意義を感じて約20年、生きていくことができました。
しかし母親にとっては娘としての存在意義は薄く、パイプ役としては不要のようです。
出て行け、と言われたので出て行きます。
今まで様々な面で助けていただいたことにはとても感謝しています。
両親のサポートがなければ、息子が夢に向かって突き進むことができる環境は与えられなかった。
けれど、この関係にも疲れていました。
正直に言って、ホッとしています。
父親が仕事から帰宅し、この事を伝えました。
今やこの家の権力は母親が握っています。
父親が75才を超えた今も働いているのは、この家を出て施設に入る資金を貯めるため。
父親は私のこの家での役割を理解していました。
私がいなくなる事でかろうじて形のあった家族は崩壊し、息子は帰ってこなくなる可能性がある事も理解していました。
「お先です~。オトンも早く出なよ。」
最後にそう言いました。
翌日、早速不動産屋さんを訪れました。
重たい話ですいませんでした。
次回からはドタバタ1人暮らしの様子などを書いていければいいなあと思います。