先月、息子は二十歳の誕生日を迎えました。
※その辺りの話
約19年前、双方に離婚の合意はあったものの息子の親権を争うため、家庭裁判所で調停の手続きを取ることにしました。
「お前に育てられたら○○はロクな人間にならない。」
これが元夫の主張。
元夫は息子を、自分という人間を育てた立派な両親に育ててもらうと主張しました。
ところが義母の
「子供から母親を、母親から子供を奪うことは同じ母親としてできません。」
この一言で終決。
調停は、こちらから弁護士を立てて申し立てました。
当時、養育費なんてどうでもよく、親権だけに固執していた私に弁護士が
「養育費は子供の権利。これは子供さんのために請求して下さい。」
そう言われて請求することにしました。
19年前の調停調書には、
未成年者の養育費として、同人が成年に達する月まで、1ヶ月○万円ずつを、毎月末日限り、指定口座に振り込む方法により支払う。
と記載されています。
以降、毎月元夫の給料日には必ず養育費が振込まれました。
給料日から1日も送れることもなく、一度も滞ることもなく。
調書には成人に達するまでと記載がありますが、息子が大学に進学した際には双方で話し合うようにと調停委員から言われた事を覚えています。
息子が大学に進学した時、息子に父親に対して二十歳以降の費用の請求はどうするかと尋ねました。
息子は、これ以上の費用を請求するつもりはない。
貯めておいてくれた養育費の中で6年間をやり繰りする。
と答えました。
息子が決めるべき事なので、息子の意思を尊重することにしました。
なので誕生日の数日前の振込をもって、約18年余りの養育費は終了しました。
息子が二十歳になる少し前から、こちらから養育費終了に関して連絡をするべきなのかと悩んでいました。
ありがとうございました。
という言葉は、何か違うように感じます。
養育費は子供の権利であって、あくまでも親の義務。
なので『お礼』ではないし、
ご苦労様でした。
という『労い』でもない。
どう言葉で表現するのが相応しいのか、ずっと考えていました。
そうしているうちに、息子の誕生日からしばらくして元夫からメールがありました。
先日最後の養育費を振込させていただきましたこと、ご連絡させていただきます。
無事、最後まで支払いを完遂し、私にできる親の務めを果たすことができ、ほっとしております。
とありました。
収入が激減した時期もあり、預金を取り崩して振込んだこともあったそうです。
元夫とはお互いに相容れない性格でしたが、彼の真面目さや責任感の強さにおいては信頼できるものがありました。
「ほっとしております。」の言葉は、離婚した父親としての責任と義務を果たすことができた安堵と本音だろうと思います。
実際、この養育費があったからこそ息子を希望する進路へと背中を押すことができました。
※その辺りの話
もしこの養育費がキチンと支払われていなければ、果たして大学進学が可能だったのだろうか?
奨学金をたくさん借りたり、教育ローンを組むのなら可能かもしれない。
進みたい分野が明確にあって医学部に行きたいと言った息子に、実質的に縛りのある「地域枠なら」と言っていたかもしれない。
そう思うと、18年余りの間、ただの一度も滞ることもなく、支払いが苦しい時期でも減額の申し出をすることもなく、ただ実直に振込み続けてくれたことに関しては、本当にありがたいと思っています。
養育費は法律上の義務とはいえ、給料日から1日も送れることもなく一度も滞ることもなく、18年余りを支払い続けることは容易ではありません。
養育費を支払い続けることが、離れて暮らす父親としての責任。
その強い思いがあったからこそ、息子のためにと振込みをしていたのだと思います。
当たり前の事かもしれません。
けれど、子供がわずか1歳半で離婚し、すぐに遠く離れてしまったため、ほとんど会うこともなくなった状況の中で、息子の父親としての自覚を持ち続けることは容易ではなかったと思うのです。
元夫への返信で
ありがとうございました。
というお礼の言葉を使いませんでした。
心より感謝申し上げます。
と伝えました。
両方とも同じ意味だと思いますが、
『ありがとう』というのは、養育費を振り込み続けてくれた行為に対しての言葉。
『感謝』とは、父親として何があっても責任を果たさなければならないという気持ちを持ち続け、息子のためにと養育費を支払い続けてくれた気持ちに対しての言葉。
元夫にはその違いは伝わらないでしょう。
伝わらなくていいと思います。
私の中で区別があればいい。
これからも父親として○○を温かく見守ってやって下さい。
とメールを締めくくりました。