先日の養育費終了に関して元夫からメールが送られてきた際、以下のような一文がありました。
〇〇は競技では優秀な成績を上げ、選抜ではキャプテンを努め優勝に貢献等、活躍。
また学業では中学から高度な学校に入り、大学は国公立医学部に、しかも現役で入学する等、
文武で立派な人間に育てていただき、大変感謝しております。
ありがとうございました。
とありました。
「お前に育てられたらロクな人間にならない。」
19年前に言われたこの言葉をバネにして子育てをしながら、『息子を立派な人間に育て上げ、いつか見返してやりたい。』そんな邪な心がありました。
息子を立派に育てなければならないというプレッシャーで、離婚して数年は肩肘の張った育児をしていました。
けれど息子はそんな邪な心を持つ母親とは対照的。
とにかく真っ直ぐ。
自分で決めた道にどんな壁があろうとも、真っ向勝負で立ち向かって行く。
いつしかそんな息子の後ろを付いて行くので精一杯。
立派に育て上げるどころか、息子の背中を見ながら親として育てられたと思っています。
そもそも、『立派な人間』って何をもって立派と言えるのだろう?
それと、息子の医学部進学が周囲に伝わった時によく言われたのが
「子育て、成功したね!」
の言葉。
競技でトップに立ったり、現役で国公立医学部に進学することが立派であり成功なのだろうか?
例えば、競技でトップに立つために、友達にボーリングに誘われても「ケガをしたくないから」と断ったり、みんながハンバーガーセットを食べていても、身体に良くないからと1人だけノンカフェインの爽健○茶を飲んでいたり。
ジュースですら、大会で自分が納得のいく成績を上げられた時だけ『ご褒美』として大好きなりんごジュースを美味しそうにニッコニコの笑顔で飲むぐらい。
毎日365日×約7年、どんなに疲れていようとも身体のケアは怠らない。
医学部合格を目指し、競技引退からの半年という短期間の全力疾走の苦しさは、並大抵のものではなかったはず。
誘惑やプレッシャーに負けず、努力を積み重ねることができた息子の事は立派だと言えるかもしれません。(注:親バカ目線)
けれど、『そんな息子を育ててフォローしてきた私の子育て、成功したでしょ?』
というのは何か違う。
成功したなんて思ってもいなかったし、それにやっとスタートラインに立ったばかり。
ちなみに息子は自分自身の事は少しも立派だとは思っていません。
「やりたい事をやりたいようにしてきただけ。ちょっと運は持ってるかもだけど。」
とのこと。
元夫に
文武で立派な人間に育てていただきありがとうございました。
と聞きたかったはずの言葉を言われても、いまいちピンときませんでした。
今まで2人で通ってきた道に間違いがなかったってだけの事。
『いつか見返してやりたい。』
とあんなに思っていたのに…。
文武で立派な人間かどうかはまだまだ未定だし。
だってまだ二十歳。
これから先の方が長い。
けれど、今まで自分が希望したものを手に入れるため、必死の努力を積み重ねることができた息子はここまでは立派に成長したと思います。
『お前に育てられたらロクな人間にならない。』
この言葉があったから何クソと心の中で拳を握り、子育ての原動力の一因となったのは間違いない。
今となっては私を奮い立たせてくれたこの言葉に、感謝すべきなのかもしれません。