shanの雑日記

子育ての振り返りから日々の雑感など

我慢の度合いとシーソー

先日、久しぶりにパートナーと言い合いになりました。

事の原因は私にあります。

明らかに私が悪いので、反省している事と同じ事のないように気をつけると伝えました。すると

パ「ムダムダ。そんな事言っても人なんて変わらないし。お前(怒るとお前呼びになる)も今まで何も変わってない。」

と言われてしまいました。

確かに人って、すぐには変われないものだと思う。

それなりに頑張ってきたつもりだけど、

『今まで何も変わっていない』

と言われてショックでした。

まあ今までのケンカの原因は、ほぼ私にあると自覚しています。

その都度同じ事をしないようにと反省してきたつもりが、この10数年何も活かされず、人間的な成長がなかったと言うこと。

現実を突きつけられ、落ち込みました…。

 

パ「お前のそういうところ、もう変わらないと諦めてる。ある意味我慢してる。」

私「そしたら、ずっと我慢することになるのでは?」

パ「彼氏彼女に関わらず、夫婦でも職場でも我慢するものでしょ。」

それはそうだけど…。

面と向かって『私はあなたに対して我慢しています』と言われたら、何だか申し訳なさ過ぎてとてもやりずらく感じてしまいます。

パ「お前も我慢してる事あるでしょ?それと同じ事。」

同じじゃない。

私は我慢している事があっても、『我慢している』とは伝えない。

我慢していると伝える=この関係は私の我慢の上で成り立っている

とマウントを取りに行くようなもの。

そういうのは好きじゃない。

 

我慢しているのなら、我慢していると伝える事を我慢すべき。

けれど、我慢し過ぎて今回みたいに爆発されると、こちら側としてはそれほど我慢させていたのかと面食らうのと同時に落ち込んでしまうわけで…。

私「我慢している事があれば、小出しにしてくれればいいのに…。」

パ「そんな、こっちからケンカを吹っ掛けるような事できるわけないでしょ!」

ごもっとも…。

小出しのさじ加減なんて、難しいけれど…。

ならば今後も我慢させている事に気づかず、また地雷を踏んでしまってドッカンがあるのか?

それこそ、同じ事は繰り返したくないんだけれど…。

仕事が終わってウチに来て、22時過ぎまでこんな話をしていました。

結局は何も解決せず。

モヤモヤと消化不良感、情けないのと悔しいのとがグチャグチャになっただけ。

けれど、事の発端は私なので、

私「今日はすいませんでした。」

と謝りました。

パ「『すいません』って会社の上司じゃないでしょ。真面目なのは良いけれど、そういう所もカタい。もっと肩の力抜いて生きられない?」

再度、ダメ出しを食らいました…。

そう言われても

『ゴメンね😛』

なんてこの話の流れ的にはおかしいし、謝ってる感ゼロじゃないの。

相手に対して、真剣に向き合っている事を示すための言葉だと私は反論しましたが、そういうところがカタいらしい…。

けれど、これが私の性格というもの。

 

ああ、なるほど。

だから人は変わることができないんだ。

『これが私の性格』『これが私の考え方』と言い切ってしまうような事は、今までの自分というものを形成してきた土台なので、絶対に変われない。

『それなりに頑張ってきたつもり』なんて、ただの自己満足であって、端から見たらホント何も変わっていないんだと思います。

私「あ。私変わるの無理だわ。」

パ「そう。変わるなんて無理。」

開き直るつもりは毛頭ないけれど、その人を築いてきた根本的なモノは変えられない。

この年になって、遅まきながら気付かされました。

 

そうなるとパートナーの言うように、どこまで相手を受け入れる事ができてどこまで我慢ができるのか。

まったくの赤の他人が良好な関係を続けようとすると、我慢は付きもの。

今まで我慢の度合いは50対50がバランス良いと思っていたけれど、そうじゃない。

その時々で我慢の度合いはそれぞれ違っても、シーソーのようにつり合いを取りながらギッコンバッタンしていけばいいのか。

重要なのは、そのシーソーから降りない事。

頭の中を整理するために文字にしてみると、こういう事なのかなあと思いました。

バツ1同士、同じ間違いはしてはいけないという思いは同じ。

できればお互いに大爆発せずに、たまにはガス抜きができればなお良し。

けれど大爆発しても、シーソーから降りるつもりはない。

そういう態度で、遅くまで結論の出ない話に長々と付き合ってくれたパートナーには感謝したいと思います。