shanの雑日記

子育ての振り返りから日々の雑感など

「英語なんてキライや!」 からの英語 ~前編~

息子が家庭教師で担当することになった英語。

今回は息子の英語指導で大丈夫なのかと思った理由について、書いておこうと思います。

 

息子が保育園、小学校と進むにつれ、新聞や広告、地元タウン誌の広告に英語教育についての情報を目にする機会が増えてきました。

息子の友達の中にも英語や英会話を習っている子もいると聞いていました。

英語かあ。確かにこれからは重要になってくるやろなあ。

まあ英語は将来、仕事として必要になった時や英語で食べていきたいと思ったら多少の援助はして、息子自身で留学や駅前留学でもしてもらおう。

中学、高校、そしてもし大学に行くにしても国社数理は日本語の試験問題。

今はまず、日本語の語彙を増やしたり日本語の理解をしておいた方がいいのでは?

と考えて、英語や英会話を習わせることはしませんでした。

 

とりあえず息子には読みたいと思う本を読ませ、他には中学受検の参考にと思った『今解き教室』や新聞を読んでいました。

 

こうして全く英語に触れることのないまま小学6年生の時に問題勃発。

当時、週に1回ほど外部からネイティブの先生が来て下さって、子供達が英語に触れる機会がありました。

英語の歌を歌って楽しく過ごすのではなく、授業のような形式だったそうです。

先生は英語で質問し、当てられた生徒が英語で答える。

英語に触れたことのある子供なら答えられるような質問であったかと思いますが、息子にはちんぷんかんぷん。

息子が指名されても、何を言っているのかもわからないので答えられるはずもなく。

息子「何を言っているのかわかりません!」

と言って座っていると、先生は両方の手のひらを上に向け、首を横に振って何やらブツブツとつぶやいたそうです。

 

息子「みんな英語を習っている訳でもないのに何で英語で質問するわけ!?わからん○○(息子の名前)がアホなん?もう英語なんてキライや!!」

帰宅した息子は顔を赤くして怒っていました。

私「これからイヤでも英語は勉強せんとあかんようになるわ。そしたら今日聞かれたことなんて簡単にわかるようになるから。今はわからなくて当たり前よ。」

英語に対してマイナスなイメージを持ってしまったことに少し焦りましたが、とりあえずそう言い聞かせました。

 

この後、少しして公立中高一貫校の入学説明会に参加しました。

すると入学前の春休みの宿題で、『英語の歌を1つ聴いて覚え、歌詞を英語で書いてくる』というものがありました。

はあ~?入学する前に英語が必須なわけ?

英語を全く知らなかったら、授業に参加できへんの?

と少し、ムカッとしました。

 

家にあったカーペンターズのトップ・オブ・ザ・ワールドの歌を聴き、歌詞カードを丸写ししました。

とりあえずはA~Zの大文字と小文字だけは書けるようにして中学校に入学。

中学校の英語の授業について行けるのかとても不安に思いましたが、塾には行かずに様子を見ることにしました。

 

実際、英語の授業ではちゃんとA~Zの文字から教わったそうですが、息子の通った中学校の英語の授業は少し変わっていたように思いました。

まず、授業の始めに必ず英語の歌を歌います。曲はカーペンターズやマライアキャリー、マイケルジャクソンまで・・・。多種多様な英語の歌が生徒からのリクエストや先生の選曲で決まり、みんなで歌います。

学校で『スリラー』を歌っていた時期、息子は家でひたすらムーンウォークの練習をしていました。笑

 

授業では、ほぼ教科書は使用しません。先生自作のプリントが多かったようです。

特徴的だったのは殆ど英文法の授業はなく、2人一組で行われるskitと呼ばれる英語の寸劇や1人での演説が多かったように思います。

先生からお題が与えられ、ストーリー(ネタ)を考えます。ネタが決まったら教科書やプリント、電子辞書を駆使して頑張って英文にします。

英文ができたら先生のところに持って行ってチェックが入り、使用した単語が適しているかや英文法を添削してもらって、みんなの前で披露します。

 

skitを観たり演説を聴いている方は、他にふさわしい表現の仕方がないか等のメモを取り、終わると発表をします。

徐々にskitのレベルも上がってきて、中学3年生になる頃にはもう私には理解することが難しくなってきました。笑

そのうちにみんな凝ってきて、小道具まで作るようになりました。

何のお題だったのか忘れましたが、息子と友人のskitがウケにウケて校内集会で発表することになり、小道具として必要なのだと紙で切った蟹を大量に作っていました。

また『なりきりキング牧師大会』なるものがあって、全員キング牧師の有名な演説を研究して1人ずつ発表。息子は3位に入賞したそうです。

これが『生きた英語を学ぶ』ということなのだろうか?

私が知る英語の授業とはあまりに違うので、驚いたり関心したりしていました。

 

「英語なんてキライや!」と言っていた息子は塾にも行かず、嬉々としてskitのネタを作っては英文にし、楽しく英語を学びながら力を付けていったように思います。

特に対策をすることなく中学3年生のときに英検3級を取得。

英検は当時、共通テストでの英語外部検定試験の導入が言われていたこともあり、高校2年生でとりあえず2級まで取得しました。(外部試験の導入は見送られました。)

英検2級の勉強は、友人から借りた英検用の単語帳と過去問のみで対応していました。

リスニングやスピーキングも中学校で3年間、みっちり鍛えられてきたので特に苦手意識はなかったようです。

 

 

 

 

 

長くなったので次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログを始めて2ヶ月。

ブログを始めて2ヶ月が経ちました。

息子が巣立った後、空の巣症候群にならないためと今までの記憶を残しておきたいと思ったのでブログを始めることにしました。

 

私がブログに最初に出会ったのは、息子の公立中高一貫校の受検の時。

あまりにも情報がなく、ネットで検索の日々を過ごしていました。

その中でブログというものの存在を知りました。

SNSといったものは怖くて手を出そうとしたことはありません。笑

当時は公立中高一貫校の受検に関する記事はまだ少なく、先に中学受検・中学受験を経験された方々の情報や体験談を読ませていただいて勉強をしました。

また、同学年の子供が中学受検・中学受験をする保護者の方々の移りゆく心情が書かれたブログには

「そう、そう、そうなんよ~!」

と勝手に共感していました。

 

息子が中学・高校と進学するに連れ、同年代の子供(特に男子)を持つ方々のブログを読ませていただき、それぞれ過ごす場所は違えども悩みは共通なんだなあと励まされたことも多々あります。

 

大学受験期、医学部受験となるとこれまた情報が少ない。

そんな時も、先に医学部を受験された子供さんがいらっしゃる保護者の方々や現役の医学部生、息子と同じ受験生の方々のブログを読ませていただきました。

子供に寄り添う親の気持ち、医学部受験に立ち向かう本人の気持ちがひしひしと伝わってきました。

大学受験では勉強に関することは全て息子に任せていましたが、まったく医学部受験というものを理解せずにいるのは息子に対して失礼かなと思い、皆様のブログで勉強をさせていただきました。

 

そうして、いつか私もブログを書いてみたいと思うようになりました。

 

ブログを始めるにあたって、皆様のように優れた文章を書く自信もなく、見栄えのするブログを作るテクニックもないので非公開にし、自分だけの記録にしようかなと思いました。

けれど、かつての私がそうだったようにほんの少しでも情報が欲しいと思っている方もいらっしゃるかもしれない。

ブログを読んで、子育てや子供の受験について悩んでいるのは私だけではないんだ、とホッと思えることもあるかもしれない。

 

アクセス解析なるものを見ても、一桁の日も普通にあります。

けれど、たったお一人の方でも私の拙い文章を読んでいただけたことに喜びを感じ、感謝の気持ちでいっぱいになります。

スターを付けていただいたり読者登録をしていただいたりすると、本当にありがたく思うのと同時に

「こんな文章でよかったのか?」

と考えてしまうこともあります。

自分が思うことを言語化し文章にすることは難しく、まだまだ勉強をしていかないとなりません。

 

お役立ちブログになるような事はこれからも書けないと思います。

ドタバタしながらも、子供はなんとなく育って大学生になった田舎のシングルマザーの過去を回想したり日々思うことをつらつらと書いたことが、結果としてどこかの誰かの、たったお一人でもその方の背中を押すこともあればいいかなと思います。

 

自分が辿ってきた道、これから出会う出来事や思うことを細々とながら文章にして残していきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生初バイトの報告

金曜日の夜、ソフトバレーの練習がなくなったので久しぶりに金曜ロードショーを観ていました。
ぽやーっとしていると、息子からのLINE。
月曜日から始めた家庭教師のバイトについて報告してくれました。
(5日経ってますがね。報告してくれるだけいいかなと思うことにします。)


息子は、大学生になったらお洒落カフェでバイトをしてみたいと高校生の頃から言っていました。
大学とマンションの間にあるお洒落カフェがアルバイト募集をしていたので応募し、面接に行ったそうです。


人生初の履歴書を書き、証明写真を貼って持参。行く前には
息子「明日面接行くんやけど、めっちゃ緊張するわ〜!何聞かれるんやろ?」
とLINEで騒いでいたので、
私「大学入試の二次面接より緊張せんやろ。」
と返信しました。
息子は大学入試で現役生にもかかわらず、二次面接に回されました。
(その辺はまた、別の機会に書きたいと思います。)


面接は圧迫でも何でもなく、ほぼ雑談のような感じで終了。
採用の場合のみ、1週間以内に連絡があるそうです。
最近は、採用の場合のみ連絡ありというのが主流なようです。
連絡を待っている方は、落ち着かない1週間を過ごすことになります。
まだ『お祈りメール』が送られる方がマシかも。
息子も落ち着かない1週間を過ごし、連絡なく不採用となりました。

ここまでは前に聞いていました。


その後、部活の先輩に
「お洒落カフェ、落ちました!何かバイトないですかね?」
と相談したところ、我が家の家庭環境を知った先輩は、人脈を駆使してあっと言う間に家庭教師と塾の助手のバイトを見つけてくれたとのこと。
そのうちの家庭教師が人生初バイトとなりました。


担当するのは中学2年生の男子。
息子は当初、『どうして〜勉強なんて〜しないといけないんっすか~?』
みたいなタイプやったらどうしよう、と考えていたそうです。笑

そんなタイプ、そもそも家庭教師なんて依頼するのか?
と思いますが。


実際にお会いして話してみたところ、年相応に擦れてるところはあるけれど、やる気がないわけではなく、やり方がわからない様子。根は多分素直だと思う。
ただ、家、学校、塾で『君はできない』と言われ続けてきたので、自己肯定感が極端に低いのが気になる。
とのこと。

なるほど。
初回でそこまで把握できたんや。

と思いました。


担当科目は英語メインで少し数学らしい。
私「君に英語が教えられるの?数学は中学生やったら何とかなるやろうけど?」
息子「それな。なんせ英語は今までFeeling Englishやから。」
息子の英語指導で高校受験は大丈夫か?


最後に
「今度帰ったら、初バイト料でビールでも買わせていただくわ。」
とLINEがありました。
そこ、ビールですか!?
確かにビールは大好きです。笑


初バイト料でいただくビールは、さぞかし美味しいことでしょう。
初バイト料で母親の好きな物を買ってあげよう、という気持ちをうれしく思います。

活動自粛から思うこと

ソフトバレーの練習がしばらく活動を自粛することになりました。
理由は、この地方でもコロナの感染が増えているためです。
いつまでこんなことが続くのでしょうか。


活動が自粛されることに対して不満があるわけではありません。
もし、クラスターが発生したら
『〇〇市の運動サークルで☓人のクラスター発生』
なんて発表されるのですから。
大人が集うスポーツの団体としては、それぞれ家庭や仕事もあり、立場はそれぞれ違うので活動自粛の方向に向かうのも無理はないと思います。


今の所、国や地方自治体も行動制限は考えていないとのことです。
上がはっきりとした基準を示さないから、その下が上の顔色をうかがうしかない状況のように思います。
『行動制限なしって事ですが、やっぱりしといた方がいいっすよね?』
みたいな。
確かに、個人個人が気をつけて行動すればいいのでしょうが。


息子が高校2年生の時、春の地方の市町村レベルのものからインターハイまで、全ての大会がなくなりました。
共に切磋琢磨しあってきた1つ上の先輩は、集大成の年にその舞台に立つことができぬまま、引退をすることになりました。


スポーツ強豪校だろうがそうでなかろうが関係はありません。
みんなそれぞれの環境で自分自身と向き合い、それぞれの目標に向かって努力を積み重ねてきたのです。
中には小さい頃からその競技を始め、高校3年生の大会で一区切りだと考えていた学生も少なからずいたことでしょう。


息子が高校3年生になっても、3月4月の大会は全て中止になりました。
幸いにも5月に1回と6月に2回大会は行われ、息子はその舞台に立って引退を向かえることができました。
私「3回しかなかったね。」と言うと
息子「3回もあった、やよ。先輩はゼロやったんやから。ありがたいと思わないと。」
と言いました。


引退した夏、インターハイが近づくと息子を送迎する車内には、ラジオからとあるアーティストが昨年インターハイを目指していた高校生に向けて制作したという楽曲がよく流れてきました。
その曲が流れる度に、息子は音量を小さくしました。
私「この曲、嫌いなん?」
息子「嫌いとかじゃないよ。ただ何かが違うんよね。本気で真剣にやってきた者に対して言葉や歌で、簡単に寄り添うとか言わないで欲しいと思う、というか。」
多くの人が励まされている楽曲ですが、息子が言いたいことは何となく理解できました。
私「寄り添うって難しいね。けど君が医学部に進んだら、患者さんに寄り添うとはどういうことなのかを勉強しないといけないよね。」
息子「うん。きっとすごく難しいことやと思う。けど1番大事なことやわ。」
そんな会話をしました。


仕方がない。悲しいのは自分だけじゃない。今はつらくてもその経験は必ずいつか役に立つ。
それは大人の言い分に過ぎないと思います。
中高生にとっては、先の『いつか』ではなく目の前の『今』が何よりも大切なのだと、部活に打ち込んできた子供を持つ親としてはそう感じます。


この楽曲の歌詞の中に、
『私はここだと叫んでいる』
というものがあります。
自分が、自分自身として生きていくために、時にはそう声を上げることも必要なのではないでしょうか。


ただのソフトバレーの活動自粛からつらつらと考えてしまいました。
今月末からインターハイが、来月には全国中学校体育大会が開催される予定です。
その舞台に立てる中高生、その舞台を目指して頑張ってきたものの夢が叶わなかった中高生のためにも、無事に開催されることを切に願います。

子育ての同志。からの卒業

前回の子離れを考える中でパートナーとの関係を再構築中と書きましたが、そろそろ今までの関係性を見直す時期に差し掛かりました。

 

パートナーはシングルファーザーで、息子と同じ年の娘さんと2つ上の息子さんがいます。

離婚理由は『性格の不一致』だと聞いています。

離婚するにあたって、彼が「子供は置いていけ」と言ったら本当に置いて出て行ったとのこと。

どうしても息子を渡すことは考えられなかった私からすれば信じられませんでしたが、元奥さんは子供達のことを考え、自分が引き取るよりも彼に任せた方が良いと判断されたのだと思います。

 

離婚後は全く連絡はなく、子供達とも会ってはいないとのこと。

子供達の方からも会いたいと言ったことがないので、会わせようと考えたことはないそうです。

しかし、元奥さんは子供達が小学生の頃の運動会には毎年必ず1人で来ていました。

子供達に会いたいと言えない事情があったのだろうか?

年に1回の運動会で子供達の成長を確認し、安堵しているのだろうか?

1人運動場の隅で子供達の応援をしている様子を遠くから見て、彼のパートナーとしての感情は一切なく、子供のそばに居ることができない母親の心情を想像してしまい、なぜか切なくなりました。

 

なぜ子供達が母親に会いたいと言わないのか、なぜ彼が子供達に会いたくないのかと聞かないのか、他人である私が立ち入る事ではないので聞いたことはありません。

ただ、彼は精一杯の愛情を子供達に注いで子育てをしていることだけはよくわかりました。

 

パートナーと知り合ったばかりの頃は子供達はそれぞれ小学校の低学年と小さかったので、子育ての悩みを相談しあうこともありました。

私も彼もそれぞれ異性の子供を育てているので、お互いに不安もありました。

しかし、段々と何かが違うなあと感じてきました。

 

そもそも私は『母親』でパートナーは『父親』です。

女性と男性。生物学的な役割の違いがあります。

母親と父親では一般家庭でも子供と接するにあたっての役割が違うだろうし、役割が違えば考え方も異なります。それぞれの家庭で自分の子供との関わり方も違います。

考え方や求めるものの違いが出てきました。

 

子供達の環境もそれぞれに異なってきました。

息子は中学受検→部活に全集中→高校受験なし→部活に全集中→大学受験。

特に中学の部活に全集中時期は少し特殊な環境だったために、私はフルで送迎やサポートに走り回っていました。

彼の子供達は地元中学→通常の部活→高校受験を経て、息子さんは高校卒業後に他府県にて就職。娘さんは地元の専門学校に通っています。

なので、私が中学受検の悩みを相談しようにも彼には中学受検は理解できないし、特殊な環境で部活に励むことは、通常の部活しか知らない彼には理解できません。

高校受験のことは私には全くわからないし、大学受験のことは彼には全くわからない。

 

お互いに悩みを共有することは難しいけれど、共感することはできます。

悩みはそれぞれ違っても、お互いに子供を立派に育て上げようという思いは共通しています。

子供達の環境が変わってからは、ただお互いにとりとめもなく自分の思っていることや感じていることを話し、それに対してお互いに

「そうなんや。」

「大変やなあ。」

「頑張ってるなあ。」

とただ話をフンフンと聞く。真剣に耳を傾ける。

意見を聞きたいと思ったとしても、既に自分の中にはぼんやりとした結論があることが多いので、結局はそれを後押しして欲しいだけなのだと思います。

とりとめもなくしゃべっているうちに自分なりの考えがまとまり、

話を聞いてくれてありがとう。さあ、またそれぞれに子育て頑張ろか。

となりました。

 

お互いに子供が最優先。

ほとんど、子育ての同志としての12年間を過ごしてきました。

そうして今、お互いの子育てはそろそろ終了を迎えます。

特に私の方は中学受検~大学受験終了までの約7年間は完全に息子中心に考えて行動していたので、パートナーのことは後回しにしてきました。

それでも不満を口にすることなく、日々息子のためにバタバタと過ごす私を応援してくれました。

息子の大学受験が終了し巣立った後、

「お疲れさん。これから2人でいろいろ楽しんでいこか。」とパートナーは笑顔で言いました。

ああ、やっぱり我慢してくれてたんやなあ。

ありがとう。

そう思いました。

 

これからはパートナー孝行もしていかないと、いつか罰が当たると思います。

約7年もの間、暖かく見守りずっと待っていてくれていたことに感謝し、共に過ごせる時間を大切にして新しい関係を構築していきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子離れについて考えてみる

昨日、息子は持って帰ってきた荷物+畑で採りたての夏野菜と共に一人暮らしのマンションへと戻りました。
今日から授業復帰と、夜には人生初バイトとなる家庭教師が始まるそうです。


息子が一人暮らしを始めて以降、ふとした時に「どうしているのかなぁ」とは思うもののどっぷりと悲しみに暮れることはなく、私自身は割と子離れができているものと思っていました。
ですが今回、息子が発熱しPCR検査や自宅待機の騒動になった時、心配と不安な気持ちが一気に押し寄せて来て、心がザワザワとして落ち着かなくなりました。
息子を迎えに行って顔を見た時、ホッとしたのか涙が出そうになり堪えるのに必死でした。

実は全く子離れができていなかったのだろうか?
今回は、子離れについて考えてみたいと思います。


『子離れ』で検索してみると、『子離れできない母親の特徴』なるものがあったので、これらについて考えてみます。

①過度の心配性
例「自分がツライ体験をしたことと同じようなツライ体験をさせたくない。」
→これは当てはまらないかな。いろいろな体験をしないと成長はない、と考えている。
②無趣味
→これも当てはまらない。週2回はソフトバレーをしている。
③優しすぎる性格
例「できることは何でもしてあげたい。」
→何でもは無理。できることとできないことはある。
④人付き合いが苦手
→正にその通り。ママ友はゼロ。
⑤夫婦仲が悪い
→シングルマザーなので夫はなし。
⑥子供に依存している
→「生活」「教育」「交友関係」の10個のチェック項目でチェックがついたものはなし。
⑦自分に自信がない
→逆に聞きたい。自分に自信がある人ってどれだけいるの?

上記の項目で、ガッツリ当てはまるのは④のみ。⑦もそうかもしれない。
あんまり特徴には当てはまっていないような気がします。


次に『子離れするための解決方法』があったので、こちらも考えてみます。

①趣味や仕事を持つ
→仕事はずっとしている。息子が居なくなってからソフトバレーに行く回数を週2回に増やした。ブログを始めた。
②夫婦関係の再構築
→夫はいないが、12年の付き合いのうち約7年は息子の受験や部活関係といったこちらの都合に合わせてもらい、振り回され続けた忍耐強いパートナーとの関係を再構築中。
③ペットを飼う
→息子の変わり、という考え方は息子にもペットにも失礼なように思う。
④子供に一人暮らしをさせる
→やっている。
⑤子供の事を一人の人間として信頼する
→信頼してきたからこそ、勉強の事や進路決定に口出ししたことはない。
⑥子供の意思を尊重する
→意思を尊重をしてきたので、勉強の事や進路決定に口出ししたことはない。


特徴にはそれほど当てはまらず、解決方法はほぼクリアしているように思われます。
なのに何故、子離れができていないと感じるのだろうか?
いろいろと考えてみました。


お腹に宿って約10ヶ月+この世に生まれて約18年。
ずっと、付かず離れずの距離で併走や追走をしながら過ごしてきたのです。
物理的な距離ができたからといって、スパッと子離れができるものでもないのだと思います。
同居をしていても、上手に子離れができている方もいらっしゃいます。
親とその子供の関係性それぞれに、適切な距離があるのだと思います。
親が子供を思う気持ちは、そもそも子供がいくつになっても変わるものではないでしょう。
ただ、子供が親の思いを鬱陶しく思うようになればそれはただ親の独りよがりにすぎない。
そうならないように留意をしながら適切な距離を測っていき、『ヘリコプターペアレント』にならないようにしなければ・・・。


息子が一人暮らしを始めてから、私の方から「どうしてる?」といった連絡はしないようにしています。
こちらから能動的に接するのではなく、受動的に接していくことから始めてみよう。
相談したいことがあるというのなら、いつでもこちらはウエルカム。
そのスタンスからやっていこう。


とは言いつつ、今夜、人生初バイトで家庭教師をしている息子のことを
「ちゃんとやれているかなあ・・・。」
と心配しています。
子離れは、ぼちぼちと少しずつしか進まないようです。

君の話は聞くからね

昨日で自宅待機期間が終了しました。
朝から息子はジョギングに出掛けました。
ずーっと自室にこもっていたので、外に出たくてたまらなかったようです。
帰宅した後、欲しい物があるとのことで買い物に出掛けました。


道中、息子はしゃべるしゃべる。
この3日間はほとんど会話をすることがなかったのもありますが、もともと息子はおしゃべりです。
男の子にしては珍しく、話しをすることでストレスを解消するタイプなように思います。


中学生の時にあった担任の先生との二者面談で、家での様子を聞かれたので
「家ではしゃべって、歌って踊ってご機嫌さん、ですかね。」
と言うと、先生は絶句。
学校では全くの真逆で、寡黙で超真面目な雰囲気を醸し出していたそうです。


息子は大学の友人について話し出しました。
数人で釣竿を片手に海に行ったものの、釣りはせずに何故か浜辺で体幹レーニング大会になったこと。
授業前の講義室のマイクをONにし、順番にモノマネを披露しあって騒いでいること。
私「君はモノマネのネタ,あったっけ?」
息子「ないから、〇〇の試合のクセ強いアナウンスのマネしたら、みんな知らんはずやのにめっちゃウケた。」
確かにあのアナウンスはウケるかも。
息子「モノマネのネタ探そ。You Tubeで勉強せな。」
大学の勉強以外にも、いろいろな勉強が必要なようです。笑
私「それにしても、遊びが中学生と変わらんレベルやね。みな大丈夫か?」
息子「みんな、かなり面白いわ。高校の同級生より子供っぽいかも。笑」
愉快な仲間たちに囲まれ、毎日楽しく過ごしているようでよかったです。


息子が保育園に行き始めて以降、(中1〜中2のプチ反抗期と大学受験前のピリピリ期を除く)帰宅したらほぼ必ず、その日の出来事を話し出しました。
その時間は台所で夕食の支度をしていることが多かったのですが、息子の話しを聞くように心掛けていました。


私の母は元看護師で、3交代制の病棟勤務をしていました。当時、父は単身赴任をしており母は一人でいつも忙しそうでした。
私が学校から帰宅したら夜勤前で寝ていたりと、生活のリズムもバラバラだったために、話したい事があってもなかなか話す機会がありませんでした。
話すタイミングをうかがっているうちに、話す意欲が失せてしまうことは多々ありました。


その記憶があるので、息子の話はきちんと『聞いてるよ』という姿勢で聞くようにしました。
多少、夕食の時間が遅くなってもまあいいか。
そう思うようにしました。


息子の話を聞いて、一緒に大笑いしたり考えたりしながらご飯を作っていました。
特に、プチ反抗期と大学受験前のピリピリ期に息子が話し出すと、手にスマホを持っていたならスマホは置き、全力で『聞いてるよ』の姿勢で接していました。

君が今、聞いてほしいと思うのならハハはちゃんと聞くからね。
自分がして欲しかったことを、ただ息子相手にしているだけだったように思います。
ある意味、自己満足だったのかもしれません。


今夜の夕食は『自宅待機お疲れさま会』の餃子パーティーでした。
ホットプレートの上の餃子を次々と食べながら、息子の楽しい話は続きました。

明日からはまた一人暮らしの生活に戻るのだから、心ゆくまで話したらいいよ。

そう思いながら、全力の『聞いてるよ』の姿勢で息子の話しを聞いていました。