休日、徒歩数分の競技会場に行ってきました。
息子が出場する大会ではありません。
息子がかつて出場していた大会に、姪甥が出場することになったのです。
数ヶ月前、この大会が今年も開催されることを知りました。
競技の振興と裾野を広げる事を目的とした、誰もが参加できる大会となっています。
そのタイミングで妹宅に郵便物を取りに行ったので、ゲームで遊んでいた甥姪に
私「この大会に出てみたら?」
「にいに(息子)も昔、この大会に出てたよ。」
そう声をかけてみました。
妹は以前から甥に対して心配していることがありました。
何に対しても消極的で、自分から一歩踏み出すことが苦手。
習い事にも興味がなく、家に居てはゲームばかりだと…。
姪は中学では運動系の部活に入部したようです。
姪も甥も、何故か息子のことが大好き。笑
姪「にいにも出てたの?私も出る!」
甥「どうしようっかなあ…。何か怖いなあ…。」
姪は前向きでしたが、甥の反応は今ひとつ。
私「T(甥)、この場所に1回立ってみたら?」
「にいにはずっと、この場所で頑張ってきたんだよ。」
そう言うと
甥「1回やってみようかな。」
2人の出場が決まりました。
さて、この大会。
表向きは『競技の振興』を目的としていますが、もう1つ別の目的があります。
それは、普段は他のスポーツをしている子の中から競技力のある子の発掘と選抜。
選抜チームのメンバーとして選ばれると、大きな大会の出場が可能となります。
息子は小中学生の頃、毎年この大きな大会の選抜メンバー入りを目指していました。
選抜メンバーの選考会は全部で3つ。
小学6年生の時は怪我でこの大会には出場することができず。
残り2つの選考会で結果を出して、初めて選抜メンバーに入る事ができました。
中学生になると進学した中学校の関係で、1つの選考会の参加資格がありません。
残り2つある選考会の1つがこの大会でした。
選抜メンバーに入るためには、必ず結果を出さなければなりません。
そして連続してメンバーに選ばれると、今度は
○○なら結果を出し、メンバーに入って当たり前。
という周囲のプレッシャーが加わります。
『必ず結果を出し、結果を出して当たり前』
親としては、これはなかなかにキツいなあと思っていましたが、息子にしてみたら、
結果を出して当たり前、と言われて当たり前。
必ず結果は出す。
後に聞いたところ、そう思って自分自身を奮い立たせていたそうです。
強気な息子に対して、ハハは毎年気が気でない状態で選考会を向かえていました。
数日前から落ち着かず。
その姿を決して息子に悟られることのないように気を遣い。
当日は笑顔と、軽めの叱咤激励で送り出し。
息子の出番となり、姿が見えると心臓の鼓動がヤバくなり…。
競技中は声を出して応援する余裕なんてなく、グッと身体がこわばり…。
終わった瞬間にドッと押し寄せる疲労と安堵。
息子の戦いでありながら、ハハも毎年戦っていたこの大会。
純粋に競技の観戦を楽しんだ事がありませんでした。
姪甥はもちろん、この競技は初心者です。
参加することに意義があります。
最後まで諦めずに競技を終えることが大切。
2人とも、初めての経験に緊張と不安な様子。
競技が始まると、それぞれに最後まで一生懸命に頑張っていました。
2人を見守る妹も初めての経験。
とにかく最後までやり切って欲しいと願っていました。
私は初めて緊張感なく純粋に楽しんで競技を観戦し、2人を応援しました。
競技の結果としては2人とも、下位。
けれど、競技を終えた2人は対照的でした。
甥「Tね、練習する。来年はもっと上に行きたい。」
姪「学校で練習した時より結果が良かった!うれしい!また頑張る!」
2人の言葉を聞いてハッとしました。
これが、『原点』だったのかもしれません。
甥のように、結果が悔しくて来年に向けて頑張ろうと思うのも1つの成長。
姪のように、以前より良い結果を出した喜びを次ぎに繋げるのも1つの動機。
息子も競技を始めた頃は同じでした。
そういった事を約10年積み重ね、今があります。
息子が競技を始めた頃、無事に最後までやり切って欲しいとだけを願っていました。
それがいつしか息子も私も『結果を出して当たり前』となりました。
今も息子はなかなかに厳しい新たな目標を掲げ、結果を出そうと模索中です。
(勉強は大丈夫か?)
ハハとしては始めの頃の『原点』を思い出し、息子が思い描いた結果が出なくても、その姿勢と努力を認められる立ち位置で今後も見守りたいと思った1日でした。